
夏の夕暮れが、窓の向こうでゆっくりと橙色に溶けていく時間帯のことだった。友人たちが続々と集まりはじめ、リビングにはまだ誰も座っていないのに、すでにどこか華やいだ空気が漂っていた。今夜は、スパニッシュ料理をテーマにしたワインパーティー。そう決めたのは、ほんの三週間前のことだ。
きっかけは些細なことで、近所の輸入食材店「ボデガ・アルタ」でたまたま手に取ったリオハ産の赤ワインだった。ラベルに描かれた古い石造りの村の絵が、なぜか子どもの頃に図鑑で見たスペインの風景と重なって、気づいたらレジに並んでいた。そういう衝動買いが、ときどき人生の方向を少しだけ変えてくれる。
キッチンに立ったのは夕方の四時過ぎ。まず取りかかったのはパエリアの下準備で、サフランをぬるま湯に溶かすと、鮮やかな黄金色がゆっくりと広がった。その色を見るたびに、なんとなく気持ちが落ち着く。オリーブオイルをフライパンに引いてにんにくを炒めると、香ばしい香りがキッチン全体に充満して、隣の部屋から「もうできた?」という声が飛んできた。まだだよ、と答えながら、内心「早すぎる」とひとりで笑った。
テーブルには、タパスを少しずつ並べていった。イベリコ豚の生ハム、マッシュルームのアヒージョ、それから焼きたてのバゲット。アヒージョの小鍋は、テーブルに置いてもしばらくぐつぐつと音を立てていて、その音がまた食欲をそそった。熱々のオリーブオイルにパンを浸す瞬間の、あのじゅわっとした感触は何度経験しても飽きない。
アヒージョはオリーブオイルとにんにくで食材を煮込んだ料理で、熱々のオリーブオイルにパンを浸して食べるのが定番のスタイルだ。
スパニッシュ料理のそういう「浸して食べる」という文化が、パーティーの場にとても合っている。手を使って、少し行儀悪く、でも幸せそうに食べる。そういう雰囲気が、会話を自然にほぐしていく。
ワインを最初に注いだのは、持ってきてくれた友人の麻衣子さんだった。彼女はグラスをふたつ手に持ったまま「どっちがあなたの?」と聞きながら、どちらのグラスにも同じくらいワインを注いでしまっていた。本人も気づいて「あ、どっちも私のになっちゃった」と笑い、その場が一気に和んだ。ワインパーティーの緊張感なんて、そういう小さなズレで簡単にほどけてしまうものだ。
スペイン料理は、ニンニクとオリーブオイルを味のベースに、新鮮な素材そのものを味わう料理が多いことが特徴で、米やイカ、タコなど日本人にもなじみのある食材が多く使用されている。
だからこそ、初めてスパニッシュ料理に触れる人にも、どこか懐かしいような親しみやすさがある。パーティーの席で「これ何?」という会話が生まれるのも、スパニッシュ料理ならではの楽しさだと思う。
パエリアが完成したのは、外がすっかり暗くなった八時頃のことだった。大きな鍋をそのままテーブルの中央に置くと、サフランの黄金色とシーフードの赤が映えて、それだけでもう歓声が上がった。底のおこげがぱりっとしていて、それをスプーンで崩す音が、静かになった部屋に小気味よく響いた。
グラスに注げば一気に気分が華やぐスパークリングワインは、パーティーのどのタイミングに開けても活躍してくれる。
乾杯のあと、会話はスペインの旅の話になったり、ワインの産地の話になったり、気づけば誰かが「次はバスク料理のパーティーをやろう」と言い出していた。話が次の約束に飛んでいくのが、いいパーティーの証拠だと、誰かが言っていた気がする。
夜が深まるにつれて、テーブルの上は少しずつ賑やかに乱れていった。空になったグラス、食べかけのバゲット、重なったお皿。その雑然とした光景が、むしろ豊かな時間の証のように見えた。スパニッシュ料理が持つ、あの「大皿を囲む」という感覚は、食べることと話すことを同時に成立させてくれる。それが、ワインパーティーという夜にこれほど似合う理由なのかもしれない。

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