
九月の夜は、まだ少しだけ夏の熱を引きずっている。
窓を少し開けると、風が薄いカーテンを揺らして、どこかの家から流れてくる炒めニンニクの香りがした。ああ、今夜も誰かが台所に立っているんだな、と思った瞬間、スマートフォンが震えた。「今日うちに来ない?みんな集まるから」。そのひと言で、その夜のすべてが決まった。
友人の家に着いたのは夜の七時過ぎ。玄関を開けた瞬間に、もわっとした温かい空気と、トマトとバジルが混ざり合った甘い香りが鼻をついた。キッチンでは三人がすでに動き回っていて、誰かがでかい声で「パスタ、もう茹でていい?」と叫んでいる。鍋が沸騰する音、まな板を叩く音、誰かの笑い声。それだけで、もう十分だった。
イタリアの家庭料理は、家族の絆を深める日常の中心として、パスタやパン、新鮮なトマトやオリーブオイル、チーズをふんだんに使うのが特徴だ。
その日の食卓も、まさにそんな空気だった。正確に言えば、血のつながった家族ではない。でも、長い時間を一緒に過ごしてきた友人たちが集まると、どこかイタリアの食卓みたいな、あの「ゆっくり、にぎやかに」という感じになる。
メインに選んだのは、トマトソースのスパゲッティとカプレーゼ。
新鮮なモッツァレラチーズ、トマト、バジルを重ねてオリーブオイルと塩を振りかけるだけで、美しい一皿が完成する。
作るのは簡単なのに、並べると途端にそれらしくなる。料理って、そういうところがある。見た目の力は、思っているより大きい。
ちなみに今年の食トレンドを調べてみると、
「フュージョン薬膳」として、イタリアンと薬膳の知恵を組み合わせるスタイルが注目を集めている。
クコの実を散らしたカプレーゼなんて、まさにその象徴だ。その夜は試しにドライのクコの実を少しだけトッピングしてみたら、友人のひとりが「これ、ナッツ?」と首をかしげながらつまんでいた。薬膳とは遠い反応だったけれど、まあいい。
テーブルに料理が並び始めると、みんなの動きが変わる。さっきまでバラバラに動いていた人たちが、自然と椅子を引き寄せ、グラスを手に取り、誰かが「いただきます」と言うのを待つようになる。この瞬間が、パーティでいちばん好きだ。
イタリアンというジャンルが、家族や友人との食卓に選ばれやすい理由は、たぶんその「シンプルさ」にある。
手軽に調理できる点や、さまざまなソースとの組み合わせが可能であることから、特別な日だけでなく日常の食卓にもぴったりだ。
難しい技術は要らない。素材を信じて、火加減を見て、ちゃんと塩を入れる。それだけで、人は「おいしい」と言ってくれる。
子どものころ、母が作るスパゲッティナポリタンが大好きだった。あれは本場のイタリアンとは程遠いものだったけれど、ケチャップの甘い香りと、ウインナーのぷりっとした感触が、なんとも言えない安心感だった。大人になって本格的なトマトソースを覚えてからも、あの味の記憶だけは消えない。料理には、そういう力がある。
その夜、友人のひとりが「ヴィアッジョ・ロッソ」という架空のワインを持ってきた。ラベルに小さなトスカーナの丘の絵が描かれた、どこかの輸入雑貨店で見つけたという赤ワインで、開けると少し酸っぱくて、でも料理とよく合った。グラスを傾けながら、誰かが「来年もこうやって集まろうね」と言った。誰も大げさには返さなかったけれど、全員がうなずいていた。
料理が冷める前に、また誰かがパスタを取り分けた。湯気がふわっと上がって、バジルの緑がテーブルの光に映える。家族みたいな友人たちと囲む食卓は、特別な料理がなくても、十分すぎるくらい豊かだ。

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