韓国料理を囲んで、ワイワイガヤガヤ過ごした夏の夜の話

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八月の夕方というのは、どうしてこんなに人を外へ引っ張り出す力があるのだろう。西の空がオレンジから紫へとにじんでいくあの時間帯に、友人のマナミからメッセージが届いた。「今夜、うちで韓国料理やるんだけど来ない?」たったそれだけの一文で、気づけばわたしは自転車を漕いでいた。

マナミの家は、駅から十分ほど歩いた住宅街の角にある。玄関を開けた瞬間、鼻をつくのはごま油とコチュジャンが混ざり合ったあの独特の香りだ。台所からはジュウジュウという音が絶え間なく聞こえてきて、もうすでに何かが焼かれている。リビングには先に来ていたユイとケンジが座っていて、ケンジはすでにマッコリのグラスを片手に持ちながら、なぜかうとうとしかけていた。開始前から眠いのか、と心の中でそっとツッコんだ。

テーブルの上には、マナミが丁寧に並べた料理が少しずつ増えていく。サムギョプサルの厚切り肉、キムチ、ナムルの小皿、そして土鍋に入ったチゲ。
厚切りの豚肉を鉄板で豪快に焼き上げ、キムチやニンニクと共にサンチュで包んで頬張る。その瞬間、口の中に広がるのは至福の旨味だ。
それはどこのレストランで食べるよりも、なぜか友人の家で食べるほうが何倍も美味しく感じられる。不思議なことだと思う。

チゲの蓋を開けると、湯気がもわっと顔に当たった。ちょっと辛いかな、と思いながらひとくち飲み込むと、舌の先からじわりと広がる辛さが心地よい。辛いのが少し苦手なユイが「これ、ちょっと辛いね」と言いながらも、止まらずに食べ続けているのがおかしかった。人間、美味しいものの前では苦手も忘れるらしい。

甘味、酸味、塩味、苦味、辛味のバランスと、食材の色彩を大切にする心は、世代を超えて受け継がれている。
韓国料理にはそういう哲学が根っこにある、とマナミが言っていた。彼女は料理好きで、最近は韓国料理の本を何冊も読み込んでいるらしく、話し始めると止まらない。わたしたちはそれをつまみに、またマッコリをついだ。

ワイワイガヤガヤと声が重なる中で、ふと子どもの頃のことを思い出した。母が作ってくれたキムチ鍋の記憶だ。当時はただ「辛い」としか思わなかったあの味が、今は懐かしくてたまらない。あのころの食卓も、こんなふうに誰かの笑い声で満ちていた気がする。

2026年のトレンドは、「映え・ヘルシー・進化系」の三要素がキーポイントだ。
マナミはそれを意識してか、この日のメニューにミナリ(セリ)を使ったナムルを加えていた。
ミナリは代替野菜としても注目され、薬味的な使われ方を含めて存在感を高めている。
シャキシャキとした歯ごたえと、ほのかな苦みがサムギョプサルの脂をすっきりと流してくれる。これが意外なほど合うのだ。

夜が深くなるにつれて、テーブルの上はどんどん賑やかになっていった。架空の話で盛り上がったり、誰かの失恋話が出てきたり、気づけば話題はあちこちへ飛んでいく。インテリアが好きなユイが「この食器、どこの?」と聞くと、マナミは「『ソウルムーン』っていう輸入雑貨のブランドで買ったの」と答えた。マットな質感の黒い器に、料理の赤と緑がよく映えていた。

窓の外では夏の虫が鳴いていて、部屋の中には食べ物の温かい香りが漂っている。誰かが笑うたびに、テーブルがわずかに揺れた。そのたびにマッコリのグラスがかすかに揺れて、液体の表面に小さな波紋が広がる。

韓国料理には、人を集める力がある。辛さと旨みが重なり合ったあの味は、誰かと一緒に食べるときに、もっと深くなる。今夜もそれを、わたしはちゃんと確かめた。

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