友だちと囲む韓国料理の夜——ワイワイガヤガヤ、ちょっと辛いくらいがちょうどいい

Uncategorized

ALT

七月の終わり、夕方六時を少し過ぎたころ。西日がベランダの植木鉢をオレンジ色に染めながら、じわじわと沈んでいく時間帯に、友人たちが次々と玄関のドアをくぐってきた。「暑い暑い」と言いながらも、みんなの顔はどこかうれしそうで、手にはビールや飲み物の袋をぶら下げている。今夜は韓国料理でワイワイガヤガヤやろう、と決めたのは三日前のことだった。

テーブルの上には、朝から仕込んでおいたサムギョプサルのタレと、ざく切りにしたサンチュ、それからキムチ。コチュジャンの赤みがぽってりと皿に盛られていて、見ているだけで食欲が湧いてくる。フライパンを火にかけると、豚バラ肉がジュウジュウと音を立てはじめ、その香ばしい脂の匂いが部屋いっぱいに広がっていった。誰かが「もうおなかすいた」と言い、誰かが笑う。その笑い声が、夏の夜の空気に溶けていく。

2026年の韓国料理トレンドは「映え・ヘルシー・進化系」の三要素がキーポイントとされている。
とはいえ、友人たちが集まる夜に必要なのは、そんな小難しい言葉よりも、ただ「おいしい」と声に出せる瞬間だと思う。肉が焼けるたびに箸が伸びて、会話が途切れて、また再開して。そういうリズムが、韓国料理の夜にはよく似合う。

ちょっと辛いくらいがちょうどいい、というのが私の持論だ。子どものころ、母がたまに作ってくれたチゲ鍋を初めて食べたとき、あまりの辛さに目に涙を浮かべながらも「もう一口」と手を伸ばしていた記憶がある。辛さの奥に、ちゃんとうまみがある。あの感覚は、大人になった今も変わらない。今夜もスンドゥブチゲの鍋が卓上コンロでぐつぐつと煮立っていて、湯気の向こうで豆腐がゆらゆら揺れている。

友人のミオが、取り分け用のレードルをうまく扱えずに、チゲをほんの少しテーブルにこぼした。「あ」と小さく声を上げて、すぐに紙ナプキンで拭きながら「大丈夫大丈夫」と自分に言い聞かせるように繰り返す。その一連の動作が妙にかわいくて、テーブルの全員がふっと笑った。こういう小さなハプニングも、みんなで囲む食卓の景色のひとつだ。

「カンジャンケジャン」など特定の韓国海鮮メニューの注目度が高まっており、韓国料理全体への関心は2025年から着実に広がりを見せている。
今夜のテーブルにも、ミオがどこかで買ってきたカンジャンケジャンが並んでいた。生醤油に漬け込まれた蟹は、ねっとりと濃厚で、白いご飯との相性が反則級だ。「これ、ご飯泥棒だよ」と誰かが言って、また笑いが起きる。ワイワイガヤガヤという言葉がこれほど似合う食卓は、そうそうない。

窓の外からは、遠くで花火の音がかすかに聞こえていた。夏祭りだろうか。ドンッという低い音が、会話の隙間に一度だけ滑り込んできて、みんなが一瞬だけ耳を澄ませた。それからまた、箸の音と笑い声が戻ってくる。

架空のセレクトショップ「ソウルタブロー」が今年の春に別注で出したという韓国の伝統柄マグカップに、友人のハルが冷たいマッコリを注いでくれた。白く濁った液体がカップの縁ギリギリまで満たされて、ひんやりとした陶器の感触が手のひらに伝わってくる。甘みと酸味が混じり合ったマッコリの香りが、チゲの湯気と混ざり合って、なんとも言えない夏の夜の匂いをつくっていた。

サムギョプサルやビビンバといった定番から、SNS映えを意識した新しいメニューまで、韓国料理の魅力は多層的に広がり続けている。
けれど、こういう夜に本当に必要なのは、流行でも映えでもなくて、ただ「また来週も集まろう」と言い合える関係性なのかもしれない。

食べ終わったあと、誰ともなくソファに崩れ落ちて、しばらく誰も何も言わなかった。満腹の沈黙は、心地よい。外の風がベランダのカーテンをふわりと揺らして、部屋の中に夜の涼しさを少しだけ運んできた。韓国料理の夜は、いつもこうして、ゆっくりと終わっていく。

コメント

タイトルとURLをコピーしました