キャンプで作る家族の料理が、こんなにも特別な時間になるとは思っていなかった

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五月の終わり、標高八百メートルの「白樺ノ原キャンプ場」に家族四人で向かった。荷物を詰めすぎたリュックが助手席の足元で崩れかけていて、娘がそれを「お父さんのリュック、もう限界だよ」と笑った。そのひと言が、この旅のはじまりだった。

テントを張り終えた頃、西の空がオレンジ色に染まりはじめていた。夕方五時半。風がひんやりと首筋をなでる感覚は、都会のエアコンとはまるで違う。生きているような冷たさ、とでも言えばいいだろうか。

焚き火台に火をおこして、料理の準備にかかった。今回のキャンプで作ろうと決めていたのは、スキレットで焼くガーリックバターチキンと、ホイル包みのブロッコリー蒸し焼きだ。ブロッコリーは今年から「指定野菜」に追加されて価格が安定してきたと聞いて、家族のキャンプ飯にも積極的に取り入れたいと思っていた。包丁でざっくり切って、オリーブオイルと塩をまぶしてアルミホイルに包む。それだけ。でも、炎の上でじっくり蒸されたブロッコリーは、家のキッチンで作るものとは別物の甘さを持っていた。

鶏肉がスキレットで焼けていく音が、パチパチと弾けながら夜の森に溶けていく。ニンニクの香りが煙とともに立ち上り、息子が「腹減った」と言いながら近づいてきた。七歳の彼は、焚き火の光に照らされた顔でじっと鍋を見つめていた。その横顔が、なんだか子どもの頃の自分に似ている気がして、少しだけ胸がつまった。

子どもの頃、父とキャンプに行ったことがある。場所は覚えていない。でも、父がカレーを作っていたこと、鍋のふたを開けるたびに湯気がもわっと上がっていたこと、それだけははっきり記憶している。あの香りが好きだった。今、自分が同じことをしている。

料理が完成して、家族四人で折りたたみのテーブルを囲んだ。娘がスキレットの取っ手を素手でつかもうとして「あっつ!」と声をあげた——そう、彼女はさっきまで「キャンプのプロっぽい」と言いながら軍手を置いてきたのだ。本人はけろっとしていたが、心の中でそっとツッコんだ。

食べながら、妻がふと空を見上げた。星がいくつか出ていた。「こんなに星、見えるんだね」と彼女はつぶやいた。特別なことを言っているわけではないのに、その声のトーンが静かで、なんだかじんとした。

キャンプの料理は、味だけじゃないと思う。火の前に立つ時間、煙の匂いが服に染みること、少し焦げた端っこを誰かと分け合うこと。そういうものが全部ひっくるめて「料理」になっている。

最近、
世界の料理を家庭流にアレンジして楽しむ動きが広がっている
と聞く。キャンプの料理も、同じかもしれない。レシピ通りでなくていい。火加減がうまくいかなくてもいい。家族と一緒に、同じ煙を吸いながら作ったものは、どんな失敗でもおいしくなる。

翌朝、息子が「また来たい」と言った。娘は「次はピザを作る」と宣言した。妻は黙ってコーヒーを飲んでいた。その静かな横顔が、一番の答えだと思った。家族でキャンプに来て、料理をして、火を囲んだ。それだけのことが、こんなにも長く心に残るとは、出発前には思っていなかった。

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