静かな夜に、二人だけの料理が教えてくれること

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梅雨の終わりかけ、七月の夜はまだ少し湿っている。窓を細く開けると、雨上がりの路面が街灯を反射してぼんやり光り、どこか遠くで水の流れる音がしていた。台所に立つのは、彼女だ。

フライパンに油をひいて、にんにくをつぶして入れる。じわりと温度が上がるにつれて、香りが部屋の隅まで広がっていく。空心菜を炒めるつもりだと言っていた。今年の夏はどこのスーパーにも並んでいるあの野菜で、最近ふたりのお気に入りになっている。シャキシャキした茎の食感と、葉のやわらかさのバランスが好きだと、彼女は言っていた。わたしはソファから眺めながら、その言葉を思い出していた。

静かな夜だった。テレビはつけていない。BGMもない。フライパンの音と、たまに彼女が鼻歌を混ぜる声だけが、この部屋の音楽だった。

料理をする人の背中というのは、なぜああも雄弁なのだろう。肩の力の抜け具合、少しだけ傾いた首、腰に当てた左手。言葉がなくても、今日の疲れ具合がわかる気がした。今夜はそんなに疲れていないな、とわたしは思った。それだけで、なんとなく夕食がおいしくなる気がした。

テーブルに皿が並んだ。空心菜の炒め物と、鶏の塩麹焼き、それから「ルコラ」というインテリアショップの近くにある小さなデリで買ってきたというひよこ豆のサラダ。ルコラというのは店名で、インテリアとデリが同じ空間に共存している、少し変わった店だ。「棚を見に行ったのに、ついお惣菜まで買ってしまった」と彼女が笑った。そういう買い物の失敗が、食卓を豊かにすることがある。

二人でテーブルを挟んで座る。グラスに白ワインを注ぐ。冷えたガラスに水滴がついて、テーブルクロスに小さな輪を作った。乾杯、と言って、軽くグラスを合わせる。その音がやけにきれいに聞こえた。

箸を持ちながら、ふと子どものころのことを思い出した。実家の台所では、母が毎晩遅くまで料理をしていた。わたしはいつも宿題をしながら、その音を聞いていた。包丁の音、鍋のふたが揺れる音、火加減を調整するつまみの音。あの頃の台所の音と、今夜のこの部屋の音は、どこか似ている。静かなのに、満ちている。

空心菜を口に運ぶ。シャキッとした歯ごたえのあとに、にんにくの香りと塩気が来る。おいしい、とわたしが言うと、彼女は少し照れたように視線を皿に落とした。その仕草が、なんとなく好きだ。

食べながら、たいした話はしない。今日の職場のこと、来週の予定、それから近所にできたらしいパン屋の話。どれも大事な話ではないけれど、どれも必要な話だった。日常のかけらを、夜のテーブルに並べていく作業。それが、ふたりでいることの実感につながっているような気がする。

食事が終わったあと、彼女はお茶を入れてくれた。最近こだわっているという台湾産の烏龍茶で、淡い金色の液体がカップに満ちていく。渡されたカップは、思っていたより少し熱くて、わたしは思わず「あつっ」と声を出した。彼女は「ごめん、ちょっと濃くしすぎたかも」と言いながら、笑いをこらえているようだった。こらえきれていなかったけれど。

湯気が細く立ち上がる。烏龍茶の香りが、鼻の奥にやさしく届く。窓の外では、さっきより風が出てきたらしく、カーテンの裾がわずかに揺れていた。

こういう夜のことを、きっとしばらく忘れない。特別なことは何もなかった。外食でも、記念日でもない。ただ、静かな夜に、二人で料理を囲んだだけだ。それだけのことが、なぜか深く胸に残る。食べることは、生きることで、誰かと食べることは、つながることなのかもしれない。

そんなことを思いながら、わたしはもう一口、お茶を飲んだ。今度はちゃんと、ゆっくりと。

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