
夏の夕暮れどき、窓から差し込む橙色の光がテーブルをゆっくりと染めていく時間帯のことだった。友人の麻衣が「今夜、韓国料理にしよう」と言ったのは、グループLINEにメッセージが届いた午後3時ちょうど。既読がつくたびにスタンプが飛び交い、気づけば6人分の「行く!」が並んでいた。
サムギョプサルのジュワッという音、チーズタッカルビのビヨ〜ンと伸びるチーズ、真っ赤に煮え立つチゲ鍋。
そういうものが頭の中をぐるぐると巡って、もう夕方なのに胃袋だけが先走っていた。
お店に着いたのは午後7時を少し過ぎた頃。扉を開けた瞬間、コチュジャンと肉の脂が混ざり合った香りがふわりと押し寄せてきた。熱い鉄板の上で豚バラがじりじりと音を立てている。その音と香りだけで、もう気持ちが上がってしまう。席についた6人は、コートも脱ぎきらないうちにメニューを奪い合うように開いた——そのうちの一人、健太はメニューを逆さまに持っていたけれど、誰も最初の2分間は気づかなかった。
2026年のトレンドは、「映え・ヘルシー・進化系」の三要素がキーポイント
などと言われているけれど、この日の6人にそんな理屈はまったく関係なかった。ただ、みんなで囲んで、ワイワイガヤガヤ騒ぎながら食べたかっただけだ。それだけで十分すぎるほどの理由になる。
注文したのは、サムギョプサルとチーズタッカルビ、それからキムチチゲ。
甘辛ダレのパンチとマイルドなチーズのコクが一体となり、辛さが苦手な人でも食べやすい
チーズタッカルビは、辛いものが得意でない奈々ちゃんへの配慮でもあった。でも彼女は結局、キムチチゲを一番多く食べていた。人の食の好みというのは、本当に読めない。
鉄板の前に座った麻衣が、トングを器用に使って肉をひっくり返しながら、「これちょっと辛いけど食べる?」と隣に小皿を差し出した。その仕草がなんとなく自然で、ちょっと嬉しかった。韓国料理を囲む時間には、そういう小さなやり取りが自然と生まれる。料理が熱くて、ちょっと辛くて、だからこそ誰かと一緒に食べたくなる。
辛さの中にも複雑な風味を感じられる
のが韓国料理の面白さで、コチュジャンや発酵食品が生み出す重なりは、一口食べただけでは語り尽くせない。幼い頃、母が作ってくれたキムチ鍋を思い出す。あの頃はただ辛いだけで苦手だったのに、いつの間にかその「ちょっと辛い」が一番恋しい味になっていた。
韓国発の「チュクミ」は、煮え立つ鍋のシズル感や仕上げ工程まで含めた体験がSNSで拡散され、話題を集めた。
そういう「体験ごと楽しむ」感覚は、まさにこの夜のテーブルにも流れていた。スマホを取り出してチーズが伸びる瞬間を撮ろうとした翔が、シャッターを押すより先に食べてしまったのは、きっとそういうことだ。
お店の名前は「ソウル食堂ハルラボン」。架空の名前ではあるけれど、実在したとしたら絶対に通い詰めるような、そんな温かみのある空間だった。木製のテーブル、壁に貼られた韓国語のポスター、天井からぶら下がる小さな電球。光は少し黄色みがかっていて、みんなの顔をやわらかく照らしていた。
韓国料理の世界は、気付いたらもうピークを迎えていて、わざわざ語るにはやや遅い、なんてこともよくある
とも言われる。でも、この夜のテーブルにはトレンドも旬も関係なかった。ただ、熱くて、ちょっと辛くて、笑いが絶えない時間があった。それだけで、韓国料理はずっと好きでいられる気がした。
締めのユッケジャン雑炊をみんなで分け合いながら、麻衣が「また来ようね」とつぶやいた。誰も返事をしなかったけれど、全員がうなずいていた。言葉より先に体が動く、そういう夜だった。

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