家族キャンプで作る料理が、なぜこんなにおいしいのか

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六月の朝というのは、思ったより早く明ける。テントの薄い布越しに差し込む光が目に入ったとき、時計を見たら五時二十分だった。標高八百メートルの「奥霧ノ原キャンプ場」は、まだ空気がひんやりしていて、鼻の先がすこし冷たかった。寝袋から這い出すと、足元の草が夜露で濡れていて、サンダルの底にじわりと冷たさが伝わってきた。

家族でキャンプに来るようになって、もう五年になる。最初は子どもたちが小さくて、テントを張るだけで精一杯だった。料理なんてレトルトのカレーを温めるのが関の山で、それでも「おいしい!」と言って食べてくれた子どもたちの顔を、今でも覚えている。あの頃の自分に、今の自分を見せてやりたいと思う。

焚き火に火をつけるのは、いつも自分の役目だ。新聞紙を丸めて、その上に細い枝を組む。チャッカマンで火をつけると、ぱちぱちという音とともに白い煙が立ち上った。朝の空気の中で煙の香りが広がっていくのは、どこか懐かしい感じがする。子どもの頃、祖父の家で庭の焚き火を眺めていたときの記憶が、ふいによみがえった。あの頃から、火を見ていると落ち着くのかもしれない。

今朝の料理は、スキレットで焼くブロッコリーと厚切りベーコンの蒸し炒めだ。ブロッコリーは今年から「指定野菜」になって価格が安定したこともあり、キャンプの食材として積極的に使うようになった。スキレットに少量のオリーブオイルを引いて、ベーコンを並べると、じゅうっという音が響いた。その音を聞きつけたのか、テントのジッパーが開いて、小学三年生の次女が寝ぼけた顔で顔を出した。髪が盛大に爆発していた。本人はまったく気にしていないようで、そのままぺたぺたと歩いてきて焚き火の前にしゃがみ込んだ。

「なんか焼いてる?」と聞く声がまだ半分眠っていた。

料理が出来上がるまでの時間が、キャンプでは不思議と豊かに感じられる。家にいるときは、早く食べさせなきゃという焦りがどこかにある。でもここでは、待つことそのものが楽しい。スキレットから立ち上る湯気を眺めながら、誰かが何かをしゃべって、誰かが笑う。それだけのことが、ゆっくりと積み重なっていく。

妻がコーヒーを淹れてくれた。アウトドア用のパーコレーターで沸かしたコーヒーは、家で飲むものとは少し違う味がする。正確には、豆も水も同じなのに、なぜかここで飲むほうがおいしい。標高のせいなのか、外気のせいなのか、それとも焚き火の煙が少し混じっているのか。マグカップを両手で包むように受け取ると、じんわりとした温度が手のひらに広がった。

健康志向が高まる今、キャンプ料理はそのトレンドとも自然に重なっている。余分な油を使わず、素材の旨みを引き出す焚き火調理や蒸し料理は、体にやさしく、しかも満足感が高い。家族で食べるからこそ、素材の選び方にも自然と気を遣うようになった。

長男がテントから出てきたのは、料理が皿に盛られたあとだった。「腹減った」の一言だけで食卓に着くのは、もう中学生になっても変わらない。それでも、ひとくち食べたあとに「うまい」とぼそっと言う。その短い言葉のほうが、どんな褒め言葉よりも確かな気がする。

家族とキャンプで過ごす朝の料理には、レシピには書かれていない何かが加わっている。それが何なのか、うまく言葉にはできない。ただ、焚き火の前でスキレットを握りながら、この時間はもう少し続いてほしいと思う。そしてそれは、きっと家族も同じだろうと思っている。

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