二人で作るスパイシーなカレーライスが、料理の時間を特別にする理由

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七月の夕方、西日がキッチンの窓から斜めに差し込んでいた。カーテンを半分だけ引いたせいで、床に細長い光の帯が落ちて、踏むたびに少しだけ温かかった。彼女と二人でカレーライスを作ることにしたのは、特に計画があったわけじゃない。冷蔵庫を開けたら、玉ねぎが三つと鶏もも肉があって、「じゃあカレーにしよう」と、ほとんど同時に言っただけだ。

広めのキッチンは、二人で立っても余裕がある。それが思いのほか、心地よかった。彼女が玉ねぎを切り始めると、すぐに目が滲んできたらしく、鼻をすすりながら「なんか涙が出てくる」とつぶやいた。ぼくはその横でじゃがいもの皮をむきながら、心の中でそっと思った。──玉ねぎを切って泣くのは、人類共通の通過儀礼だと思う。

スパイスを使うことにしたのは彼女の提案だった。最近、スパイスカレーへの関心が高まっているらしく、ネットで調べてきたらしい。クミン、コリアンダー、ターメリック、それから少量のカルダモン。小さな瓶を四つ、カウンターに並べると、それだけでキッチンがどこか異国めいた雰囲気を帯びる。フライパンにオイルを熱し、クミンシードを入れた瞬間、ぱちぱちと小気味よい音が鳴った。それと同時に立ち上がった香りが、ぼくの記憶のどこかを揺さぶった。

子どもの頃、母が休日によく作ってくれたカレーライスは、市販のルーを使ったごく普通のものだった。でも、あの鍋から漂ってくる湯気の匂いを嗅ぐたびに、土曜日の午後が始まる気がした。スパイシーというよりも、やさしくて、丸い香り。今日のこのキッチンには、あの頃とは違う、もう少し鋭くてきりっとした香りが漂っている。それはそれで、悪くない。

玉ねぎを飴色になるまで炒めるのに、二十分近くかかった。彼女は木べらを持って、鍋をかき混ぜながら「こんなに時間かかるの?」と少し驚いていた。でも急かさなかった。ぼくは隣でスパイスの分量を量りながら、時々その横顔を見ていた。集中しているときの彼女は、眉が少しだけ寄る。それに気づいたのは、たぶん今日が初めてだった。

鶏肉を加えると、じゅっという音と一緒に白い煙が上がった。トマトを入れ、スパイスを加え、少しずつ水を足していく。二人で作るカレーライスは、工程を分担できる分、不思議と会話が増える。「次は何を入れる?」「もう少し火を弱めた方がいいかな」そういう小さなやりとりが、積み重なっていく。

煮込んでいる間、ぼくたちは架空の話をした。いつか「スパイスマルシェ・ニルヴァーナ」という名前のお店が近所にできたら面白いね、と彼女が言った。スパイスと雑貨と、ちょっとした喫茶が一緒になったような場所。ぼくは「それ、週末に通い詰めるやつだ」と返した。鍋の中でカレーがゆっくりと煮立つ音を聞きながら、そんな存在しない店の話をするのが、なんだか妙に楽しかった。

完成したカレーライスは、スパイシーで、でも鶏の旨みがきちんと残っていた。二人で並んでテーブルに座り、最初の一口を食べたとき、彼女が「おいしい」と言った。それだけで、二十分間玉ねぎを炒め続けた甲斐があったと思えた。

カレーライスというのは、時間をかけて作るほどに、食べるときの満足感が増す料理だ。それは一人で作るよりも、誰かと一緒に作る方が、もっとそう感じる気がする。工程を共有して、香りを一緒に嗅いで、待つ時間さえ分け合う。二人で作るということは、料理そのものだけじゃなく、その過程ごと味わうということなのかもしれない。

窓の外はいつの間にか暗くなっていた。食器を洗いながら、また作ろうか、と彼女が言った。今度はもっとスパイスを増やしてみようかな、と。ぼくは「いいね」と答えながら、心のどこかでそっと思っていた。──次回も、玉ねぎ担当は彼女にしてもらおう、と。

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