家族キャンプで作る料理が、なぜこんなにも美味しいのか

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夏の朝、五時半。テントのファスナーを静かに開けると、山の空気がどっと流れ込んできた。冷たくて、少し湿っていて、どこかスギの匂いがする。標高八百メートルほどの「奥秩父みどり高原キャンプ場」の朝は、七月だというのに信じられないほど清々しかった。

キャンプに来るたびに思う。家で作る料理と、ここで作る料理は、同じレシピでもまったく別の食べ物になる、と。

この夏、家族四人でテントを張ったのは、川沿いの林間サイト。夫がランタンをぶら下げているあいだに、私は焚き火台に炭を並べ始めた。子どもたちはまだ寝袋の中でもぞもぞしている。長女は九歳、次女は六歳。二人とも、前夜の興奮が抜けきっていないのか、寝袋から手だけを出してぼんやりしていた。その小さな手が、なんともいえず愛らしかった。

朝ごはんはホットサンドと決めていた。食パンにスライスチーズとハムを挟んで、ホットサンドメーカーで焼くだけ。シンプルの極みだが、鉄板が熱くなってくると、バターが溶ける香りがあたりに広がって、それだけで食欲が目を覚ます。炭火の上で「ジュウ」という音が響き、次女がその音に反応してむくりと起き上がった。「なんかいい匂い」と言いながらサンダルを履き間違えて、左右逆のまま歩いてくる姿に、思わず笑いをこらえた(本人はまったく気づいていない)。

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ように、日常の料理はどんどん効率化・合理化されている。でも、キャンプの料理はその逆を行く。手間をかけることが、むしろ楽しみになる。

昼は夫がカレーを担当した。スーパーで買ってきた市販のルーではなく、スパイスを数種類ブレンドして作る本格派。
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という話を読んでいた夫が、「キャンプカレーも薬膳にしてみた」と言い出したのが今回のきっかけだった。クミン、ターメリック、コリアンダー。ダッチオーブンの中で玉ねぎをじっくり炒めると、黄金色の香りが煙と一緒に空へ昇っていった。川の音と、鳥の声と、スパイスの香り。この組み合わせは、どんな高級レストランにも再現できないと思う。

子どもたちは川から石を拾ってきて並べていた。料理には参加しない気満々だったが、ルーを溶かすタイミングで長女が「やる」と言って木べらを奪い取り、鍋をぐるぐるかき混ぜ始めた。力加減がわからないのか、少しこぼれた。でも誰も怒らない。それがキャンプの空気感だ。

夕方になると、日が山の稜線に近づき、サイト全体がオレンジ色に染まった。焚き火を囲んで、四人でアルミのカップを持つ。大人は「モリタ農園のハーブティー」(架空のブランドだが、夫が山の道の駅で見つけてきた本物の香りがする)、子どもたちはほうじ茶。カップの温もりが手のひらに伝わって、しばらく誰も話さなかった。

そういえば、子どもの頃、父に連れられて行ったキャンプでも、夕飯のカレーが忘れられない。飯ごうで炊いたご飯が、底のほうだけ少し焦げていて、それが妙においしかった。あの焦げた匂いを今でも覚えている。料理の記憶は、舌よりも鼻に残るのかもしれない。

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という時代に、あえて二時間かけてダッチオーブンで煮込んだカレーを食べる。それはある種の贅沢だと思う。効率とは真逆の、時間をかけることへの肯定。

家族でキャンプをすると、料理の意味が変わる。作ることが目的になる。食べることが会話になる。洗い物が笑いになる。川の水で食器を洗いながら、次女が「また来ようね」と言った。その一言で、今回のキャンプは完成した気がした。

来年も、きっとまたここに来る。そしてまた、同じカレーを作るだろう。でも、きっとまた違う味になる。それでいい。

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