
五月の夕暮れどき、窓から差し込む橙色の光がテーブルの上に薄く伸びていた。誰かがカーテンを半分だけ引いたせいで、部屋の中は不思議な明暗に包まれていた。そんな光の中に、湯気が白くゆらゆらと立ち上っている。今夜は韓国料理の夜だ。
友人たちが集まり始めたのは午後六時すぎのことで、玄関のドアが開くたびに「腹減った」「何作るの」という声が廊下に響いた。
サムギョプサルの豚バラ肉を鉄板でジュージュー焼き、焼けたらサンチュに包んで食べるスタイル
にしようと決めたのは三日前。それだけで、なんとなくみんなの気持ちが上がっていた。
コンロに火を入れると、すぐに油の弾ける音が聞こえてくる。ジュッ、ジュジュッ。その音が会話の隙間に差し込まれるたびに、誰かが「あ、焼けてきた」と身を乗り出す。肉が焼ける香りというのは不思議なもので、それだけで部屋全体が一段階あたたかくなる気がした。
今回のメインはキムチチゲだ。
コチュジャンベースのスープに加工肉のうま味が溶け込んだ、ピリ辛だけど後を引く濃厚な味わい
を目指して、昨日から仕込んでいた。ちょっと辛い、くらいがちょうどいいと思っている。辛すぎると会話が途切れるし、薄すぎると物足りない。そのさじ加減が、韓国料理の醍醐味だと個人的には感じている。
テーブルの上には、架空のインテリアブランド「ソウラック」で買った深めの陶器の器が並んでいた。マットな質感で、手に持つとずっしりとした重みがある。その器にチゲをよそうと、赤いスープが縁ぎりぎりまで満ちて、思わず「多すぎた」と心の中でツッコんだ。案の定、運ぶ途中で少しこぼれた。まあ、いい。
友達とシェアしてワイワイ食べるのに最適なメニュー
というのは本当で、鍋を囲むとみんなの距離が自然と縮まる。ワイワイガヤガヤと声が重なり合い、笑い声が途切れることなく続く。誰かが「これ辛い!」と言って、誰かが「いや全然いける」と言い返す。その応酬がまた笑いを呼ぶ。
子どもの頃、母が作ってくれたキムチ鍋のことを思い出した。当時は辛さが苦手で、スープをすするたびに目に涙がにじんでいた。それでも食べ続けたのは、家族みんなで鍋を囲む時間がどこかあたたかかったからだと思う。今夜のこの光景も、きっと似たようなものだ。
K-POPや韓国ドラマの人気に支えられ、韓国料理は一時的なブームを超えて日本の食文化に深く浸透している
。そのことを実感するのは、こういう何でもない夜だったりする。特別なお店に行かなくても、誰かの家のキッチンで、ちょっと辛いチゲを作るだけで、韓国の食卓の空気が漂ってくる。
進化系カルグクスや、伝統的なクッパを洗練させたニューウェーブクッパ
など、韓国料理は今も目まぐるしく変化し続けている。それでも、友人たちと囲む鍋の景色は変わらない。赤いスープ、白い湯気、笑い声、そして誰かが差し出す「もう一杯どう?」というひと言。
夜が深くなるにつれて、窓の外の光は完全に消えていた。部屋の中だけが明るく、温度があった。誰かがうとうとしかけたのか、急に「寝てないよ!」と声を上げた。そのタイミングで鍋が再び沸き立ち、また笑いが起きた。
韓国料理には、人を集める力がある。ちょっと辛いくらいがちょうどよくて、ワイワイガヤガヤと騒がしい夜に、よく似合う。そういう夜を、またいつかつくりたいと思っている。

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