
六月の夕暮れは、思ったよりずっと長い。午後七時を過ぎても空の端がまだほんのり橙色に染まっていて、窓から差し込む光が、テーブルの上に並べた皿をやわらかく照らしていた。そんな夜に、久しぶりに友人たちが集まった。
きっかけは、みゆきがひと言「韓国料理、食べたくない?」と送ってきたLINEだった。それだけで、三人が「行く」と即答した。韓国料理には、そういう力がある。人を集める磁力のようなものが、あの赤くてにぎやかな食卓には宿っている気がする。
2026年、韓国グルメへの関心はとどまることを知らず、若年層を中心に韓国人気は依然として高い。
そのムードは街の空気にも確かに漂っていて、私たちの「今夜は韓国料理にしよう」という会話も、きっとその大きなうねりのひとつだったのだろう。
駅から歩いて五分ほどの場所に、「ソウル食堂ハヌル」という小さな韓国料理店がある。架空の名前に聞こえるかもしれないけれど、本当にある。いや、実際には私たちがずっと通い続けている、あの細い路地の奥の店だ。引き戸を開けた瞬間、ごま油とにんにくが混ざり合った香りがふわっと顔を包む。毎回、この匂いで「来た」と思う。
テーブルに着くなり、ワイワイガヤガヤと注文が始まった。サムギョプサル、スンドゥブチゲ、チヂミ、キムチのパンチャン。誰かが「辛いの大丈夫?」と聞いて、誰かが「ちょっと辛いくらいがいい」と答える。そう、ちょっと辛いのが、ちょうどいい。辛さの奥にうまみがあって、舌の上でじわじわと広がるあの感覚は、韓国料理でしか味わえないものだと思っている。
ただ辛いだけじゃない、うまみと香りの奥深さにハマる人が続出している
のも、納得だ。私自身、子どものころは辛いものが苦手で、母が作るキムチ鍋を横目で見ながら、白いご飯だけ食べていた記憶がある。あの頃の自分に、今夜のスンドゥブチゲを食べさせてやりたい。きっと目を丸くするだろう。
鉄板の上でサムギョプサルが焼け始めると、煙がもうもうと立ち上り、換気扇がうなり声をあげた。じゅうじゅうという音が会話の隙間に入り込んで、テーブルの上の空気がじんわりと温かくなる。はるかがトングを持ったまま「これ、どっちが表?」と首をかしげていて、みんなで笑った。正直、私も毎回わからなくなる。
サムギョプサルやビビンバといった定番の名前は変わらなくても、2026年もそのブームは継続している。
でも、こうして友人たちと囲む食卓で食べるそれは、どんなトレンドよりも鮮やかに記憶に刻まれる。流行がどう変わろうと、この温度と香りは変わらない。
チヂミが運ばれてきたとき、さおりが「端っこがいちばん好き」と言いながら、迷わず端を取った。カリッとした食感が、箸を入れた瞬間に伝わってくる。外側のあの焦げた部分と、中のもちもちとした生地のコントラストは、何度食べても飽きない。ちょっと辛いヤンニョムをつけて口に運ぶと、ビールが飲みたくなる。
気づけば、窓の外はすっかり夜になっていた。橙色の空は消えて、深い藍色が広がっている。テーブルの上には空になった皿と、まだ話し足りない四人がいる。ワイワイガヤガヤとした声は少しだけ落ち着いて、代わりに笑い声がゆっくりと増えていった。
韓国料理には、時間を忘れさせる何かがある。辛さと香りと、熱い鍋と、焼ける音と。それらが重なって、テーブルを囲む人たちの距離を、少しだけ縮めてくれる。今夜もまた、そんな夜になった。次はどこで集まろうか、という話が始まったとき、みゆきがすでにスマホで次の店を調べていた。やっぱり、韓国料理で、と彼女は言った。

コメント