
六月の夜は、思ったより早く更けていく。窓の外には梅雨の合間に顔を出した星がちらほら見えていて、部屋の中にはすでに、コチュジャンと胡麻油が混ざり合ったような香りが漂っていた。
その夜、みんながうちに集まったのは、「韓国料理を囲もう」という、ゆるい約束がきっかけだった。ゆるい、とはいえ、友人のミキはあの「ソウルで食べた味を再現したい」と二日前から仕込みを始めていたし、ユウタは新大久保で買ってきたというコチュジャンを大事そうに抱えて玄関に現れた。わたしはわたしで、サムギョプサル用の豚バラを近所の精肉店で奮発して買い求め、冷蔵庫の中でひっそり出番を待たせていた。
鉄板に肉を乗せると、すぐにジュワッという音が台所に響く。脂が弾け、煙がふわりと立ちのぼる。その音と匂いだけで、場が一気に韓国料理の空気になる気がして、なんだか不思議だ。
サンチュに包んで、ニンニクを乗せて、サムジャンをちょっとだけ。ひと口で頬張ると、脂の甘みとみそのコクが一度に押し寄せてくる。「ちょっと辛い」と誰かが言って、それでも手が止まらない。ちょっと辛い、がちょうどいい。汗をかきながら笑い、また箸を伸ばす。そういう夜だった。
テーブルの上は気づけばにぎやかで、キムチ、ナムル、チヂミ、そしてミキが仕込んできたスンドゥブチゲ。土鍋がぐつぐつと煮えたぎる音が、会話の隙間に差し込まれる。ワイワイガヤガヤと声が重なって、時々何を言っているのか聞こえなくなる。それもまた、この夜の一部だと思う。
子どものころ、母がよく「食卓は賑やかなほどおいしい」と言っていた。当時はよく意味がわからなかったけれど、今夜みたいな夜を過ごすと、ああそういうことか、とじんわり腑に落ちる。料理の味は、誰と食べるかで変わる。それは本当のことだ。
そういえば、最近の韓国料理のトレンドは「ヘルシー&進化系」へと向かっているらしい。
伝統的なクッパを洗練させた「ニューウェーブクッパ」や、郷土料理を現代風にアレンジした「進化系カルグクス」が登場し、従来のイメージをスタイリッシュに進化させている
という。それでも、友だちと囲む鉄板の焼肉には、どんな進化系も敵わないとわたしは思っている。少なくとも今夜は。
チゲをよそってもらいながら、ミキがわたしのカップにマッコリを注いでくれた。その仕草が、なんとなく母に似ていた。注ぎながらちょっとこぼして、「あ」と小声で言って、ふたりで笑った。こういう小さなズレが、夜をやわらかくする。
食卓の真ん中には、架空のブランド「ソウルスタイル食器店」で買ったという白い土鍋が鎮座していた。ミキが「旅行のつもりで買った」と言っていた器で、確かにそこだけ少しだけソウルの空気がする。グツグツと煮えるスープの赤い色が、夜の照明に照らされて、なんとも食欲をそそる。
仕上げに追加麺を入れれば、最後までスープを余さず楽しめる。友達とシェアしてワイワイ食べるのに最適なメニュー
だと、どこかで読んだことがある。まさにその通りで、わたしたちは締めの麺を入れながら、もう一杯、もう一杯と、なかなか終わりにできなかった。
時計が午前零時を回るころ、ようやく鍋の火を落とした。テーブルの上はすっかり空になっていて、残ったのは空のマッコリのボトルと、キムチの皿の赤い汁だけ。窓を開けると、夜風が少し冷たくて、熱くなった頬に気持ちよかった。
また来月もやろう、とユウタが言った。次は何を作るか、もう話し合いが始まっていた。韓国料理の夜は、次の約束を連れてくる。それがいちばんの、ごちそうかもしれない。


コメント