静かな夜に、二人だけの料理が教えてくれること

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梅雨の合間に晴れた、六月の水曜日の夜だった。窓の外はまだ少し湿っていて、アスファルトが街灯の光を反射している。そういう夜は、なぜか外へ出る気になれない。彼女が「今日は家でごはんにしよう」と言ったのは、帰り道の駅のホームだった。スマートフォンも見ずに、ただ空を見上げながら。その横顔が、どこか子どもみたいで、少しだけ胸に刺さった。

二人でスーパーに寄って、特に決めていなかったメニューをゆっくり考えながら歩いた。鶏もも肉と、季節のブロッコリー。それから、ちょっと奮発してバゲットを一本。彼女が「これも」と手に取ったのは、小さな瓶に入ったアンチョビだった。何に使うのかと聞いたら、「なんとなく」と言って笑った。結局そのアンチョビは、その夜の料理に大活躍することになる。

家に帰ると、キッチンに二人が並ぶ。狭い。肩がぶつかる。それでも、なんとなくうまく分担できてしまうのが不思議だ。彼女がバゲットを薄く切るあいだ、私は鶏肉に塩をふった。フライパンに油をひいて、皮目から焼き始めると、ジュッという音が台所に広がった。香ばしいにおいが、部屋の奥まで漂っていく。

鶏肉を焼きながら、ふと子どものころを思い出した。母が台所に立っているとき、私はいつも足元にいた。熱い蒸気が顔にかかるのが嫌いで、でも離れたくなくて、中途半端な距離に立っていた。あのにおいと、この夜のにおいが、どこか似ている気がした。料理というのは、記憶の引き出しを勝手に開けてしまう。

アンチョビをオリーブオイルで溶かし、ゆでたブロッコリーと和える。彼女のアイデアだ。塩気と旨みが混ざって、思ったより本格的な味になった。私が「うまい」と言うと、彼女は少し得意そうな顔をした。でもその直後、バゲットを皿に盛ろうとして一枚床に落とした。二人同時に「あ」と声を出して、それだけで笑ってしまった。静かな夜に、小さな音が響く。

テーブルに料理を並べると、部屋がぐっと違う場所になる。照明をひとつ落として、アーバンテーブルウェアというブランドのキャンドルホルダーに火を灯した。揺れる炎が、白い皿の縁をやわらかく照らしていた。ワインは開けず、炭酸水にレモンを絞っただけにした。それで十分だった。

二人で向かい合って食べる。特別な会話があるわけじゃない。「これ、思ったよりちゃんとしてる」とか、「次はパスタにしようか」とか、そういうことしか言わない。でも、その言葉のあいだにある沈黙が、まったく重くない。箸が皿に当たる音、炭酸の泡がはじける音、窓の外の雨上がりの風。静かな夜というのは、そういう細かい音でできている。

料理を作ることと、誰かと食べることは、別のことのようでいて、実はひとつながりだと思う。台所で肩をぶつけながら、失敗して笑って、できあがったものをテーブルに運ぶ。その一連が、二人のあいだに何かを積み上げていく。言葉にすると大げさだけど、感じているのはもっとずっと小さくて、温かいものだ。

食べ終わったあと、彼女がソファで少しうとうとしていた。洗い物をしながら、その寝息をなんとなく聞いていた。泡立てたスポンジで皿を洗う手が、ゆっくりになる。急がなくていい夜だった。窓の向こうでは、また雨が降り始めていた。

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