
七月の夜は、思っていたよりも早く更けていった。
窓を開け放したリビングに、かすかな風が流れ込んでくる。テーブルの上には色とりどりの小皿が並び、オリーブオイルとにんにくが混ざり合った香りが、部屋全体にゆるやかに漂っていた。今夜のテーマは、スパニッシュ料理を囲むワインパーティー。友人たちが集まるたびに何かしら「テーマ」を設けるのが我が家の流儀で、今回はずっとやってみたかったスペインの食卓を、そのまま再現してみることにした。
近年、タパスとワインを気軽に楽しめるスペインバルのスタイルが日本でも広まり、スパニッシュ料理への注目はじわじわと高まっている。
それは外食の話だけではない。自宅でも、あの雰囲気を作れるのではないかと思ったのが、このパーティーの出発点だった。
準備を始めたのは午後三時過ぎ。まず手をつけたのはパエリアの下ごしらえで、バレンシア産の米を使いたくて、輸入食材店「カサ・デル・スール」で取り寄せておいた一袋を封切った。ふわりと立ち上る乾いた穀物の香りが、なんとも言えず旅先の台所を思わせる。そこへ魚介を加え、サフランを溶かしたスープを注いだ瞬間、鍋の中が鮮やかな黄金色に染まっていった。
タパスも数種類用意した。生ハムとマンチェゴチーズ、オリーブのマリネ、それからガーリックシュリンプ。
スペインを代表する飲み物「サングリア」は、赤ワインをベースに果物やジュースを加えたもので、見た目も美しく夏のパーティーにぴったりだ。
今回はそのサングリアに、桃とオレンジを沈めてみた。グラスに注ぐと、果肉がゆらゆらと揺れて、なんだか南国の夕暮れみたいだった。
ゲストが揃ったのは午後七時。乾杯はスペインの赤ワインで。リオハ産のテンプラニーリョを選んだのは、スパニッシュ料理との相性を考えてのことだったが、正直なところ、ラベルのデザインが好みだったという理由もあった。
スペインはイタリア・フランスに次ぐ世界第三位のワイン産地であり、地域ごとに多様なワインが生まれる。
その奥深さを、グラスを傾けながら少しずつ知っていく夜というのも、悪くない。
食卓が賑わい始めると、会話はあちこちに飛んだ。仕事の話、最近見た映画、誰かの旅の話。スパニッシュ料理の小皿たちは、そういう会話の隙間にするりと入り込んでくる。一口食べて「これ何?」と聞かれる。説明しながらまたワインを飲む。そのリズムが、夜をゆっくりと前へ進めていった。
パエリアを取り分けていたとき、友人の一人がワインのボトルを持ったまま立ち上がり、注ごうとして——盛大に自分のグラスだけ満たして座り直した。本人はまったく気づいていなかったけれど、その堂々とした動作に、テーブル全員がしばらく笑いを堪えていた。スパニッシュ料理のパーティーには、そういう小さなズレが似合う気がする。
タパスは、友人や家族と一緒にいろいろな料理をシェアしながら楽しむスタイルで、リラックスした雰囲気を作り出し、会話も弾む。
実際にそれを体感したのは、今夜が初めてかもしれない。大皿から自分で取り分ける、誰かのぶんも取ってあげる、そのなんでもない動作が、場を温める。
子どもの頃、祖母の家で囲んだ鍋料理を思い出した。あのときも、料理そのものより、誰かが何かを取ってくれる瞬間のほうが、記憶に残っている。スパニッシュ料理のパーティーも、きっとそういうものだ。味の記憶より、誰かの手の動きや、グラスの音や、夜風の温度が、後になって蘇ってくる。
スペイン料理はにんにくとオリーブオイルを味のベースに、新鮮な素材そのものを味わう料理が多い。
だからこそ、飾らない食卓に馴染む。特別な夜じゃなくても、ワインと小皿があれば、それだけで十分な夜になる。
パーティーが終わったのは夜十一時を過ぎた頃。洗い物を片付けながら、残ったサングリアを一口飲んだ。桃がすっかりワインに染まって、甘くて少し切ない味がした。また来月もやろう、と誰かが言っていた。次は何の料理にしようか、と考えながら、窓の外の夜空を見上げた。夏の夜はまだ、終わらなかった。

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