
窓の外から、夏の夜風がほんのりと忍び込んでくる。時刻は午後七時を少し過ぎたころ。まだ空の端に橙色が残っていて、室内に灯したキャンドルの炎が、その残光とゆるやかに混ざり合っていた。テーブルの上には、色とりどりのスパニッシュ料理が並んでいる。
友人たちを招いてのワインパーティーを思い立ったのは、実はずいぶん衝動的なことがきっかけだった。近所のセレクトショップ「アルタ・メサ」でふと目に留まったテラコッタ色の小皿を衝動買いしてしまい、「これはもう、タパスを盛るしかない」と自分に言い聞かせたのだ。皿に料理を呼ばせる、というのも悪くない動機だと思っている。
準備を始めたのは前日の夜から。まずガスパチョ用の完熟トマトを刻み、にんにくとオリーブオイルを合わせてミキサーにかけた。冷蔵庫で一晩ゆっくり冷やすことで、翌日には野菜の甘みと酸味がひとつに溶け込んだ、深みのある冷製スープになる。子どもの頃、母がよく作ってくれたトマトの冷たいスープを思い出した。あの頃はなぜか「なんで温かくないの」と不満だったのに、今は夏になるたびに無性に恋しくなる。人の舌というのは、ずいぶん時間をかけて育つものだ。
当日、友人たちが次々と扉を開けてやってくる。最初に到着した麻里が、ワインボトルを両手で抱えるようにして差し出してくれた。「スペインのリオハ産の赤、奮発したよ」と言いながら、少し照れたように笑う。その仕草がなんとも嬉しくて、グラスを準備する手が少し急いた。
テーブルには、アヒージョの小鍋がぐつぐつと音を立てている。にんにくとオリーブオイルが熱せられる香りが部屋中に広がり、それだけでもう、どこか異国の食卓に迷い込んだような気分になる。海老とマッシュルームがじっくりと油に浸かり、表面がきつね色に変わっていく様子を、みんなが少し身を乗り出して見ていた。パエリアは今回、魚介たっぷりで仕上げた。サフランで染まった黄金色のご飯が、鍋底でわずかにおこげを作り始めたとき、誰かが「いい匂い」とつぶやいた。それだけで、この夜が成功だと確信した。
ワインが注がれ、グラスが触れ合う音が夜に溶けていく。リオハの赤は、思ったよりも果実味が豊かで、アヒージョの塩気と驚くほどよく合った。白ワインには冷えたガスパチョを合わせると、夏の夜にこれ以上ない組み合わせになる。スパニッシュ料理とワインのペアリングというのは、難しく考えなくていい。素材の力を信じて、好きなものを好きなように楽しむ——それがスペインの食卓の精神なのかもしれない。
ピンチョスを小皿に並べながら、ふと気づいたことがある。生ハムとクリームチーズを重ねた一口サイズのそれは、見た目も鮮やかで、テーブルをぱっと華やかにしてくれる。友人の健太が「これ、全部食べていい?」と聞いてきたので、「ダメ」と即答したら、彼は三秒ほど真剣な顔で考えてから「じゃあ半分」と交渉してきた。パーティーというのは、こういう小さなやりとりが積み重なってできている。
夜が深まるにつれ、会話はゆるやかに、でも確かに弾んでいった。仕事の話、最近読んだ本の話、どこかへ旅に出たい、という漠然とした願望。スパニッシュ料理のパーティーには、そういう話をするのにちょうどいい空気がある。小皿を少しずつ分け合い、ワインを少しずつ注ぎ足しながら、時間をかけてゆっくり過ごす。急がなくていい。それがこのスタイルの一番の贅沢だ。
キャンドルの炎が短くなるころ、誰かが「また来月もやろう」と言い出した。全員が迷わず頷いた。テーブルの上には、空になったワインボトルと、食べ尽くされた小皿だけが残っている。夏の夜の、ほんの数時間。でも確かにそこには、忘れがたい温度と香りと笑い声があった。スパニッシュ料理が生み出す豊かさというのは、皿の上だけにあるのではなく、それを囲む人と時間の中にこそ宿るのだと、この夜に改めて思った。

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