
四月の昼下がり、窓から差し込む光がまだ少しやわらかい。キッチンに立つと、まな板の上にはすでに玉ねぎとにんじんが並んでいて、彼女がそれを丁寧に切りそろえていた。包丁の音が一定のリズムを刻む。コトン、コトン、コトン。
今日は二人でカレーライスを作ることにした。別に記念日でも何でもない。ただ「作りたいね」という気分が重なっただけ。でも、そういう日がいちばん好きだと思う。
うちのキッチンは少しだけ広い。二人が並んでも窮屈にならない程度には。それがこの部屋を選んだ理由のひとつで、今日みたいな日にじんわりとその正解を感じる。彼女が玉ねぎを切りながら目を細めている。「辛い」と小声で言って、袖で目をぬぐった。その仕草が、なんだかかわいかった。
フライパンにオリーブオイルを熱して、玉ねぎを炒め始める。じわじわと飴色に変わっていく様子を見ながら、子どもの頃のことを思い出した。母が毎週日曜日に作っていたカレーは、いつも決まった時間に、決まった香りで家中に広がっていた。あの匂いを嗅ぐと、なぜか宿題をやり残した気持ちになるのはなぜだろう。
今日のカレーライスは、少しスパイシーに仕上げるつもりだ。市販のルーだけに頼らず、クミンとコリアンダーを加えてみる。
クミンパウダーを入れるとエスニック感のある香りに仕上がる
と聞いて、先週から試してみたかった。小さじ一杯分を手のひらに乗せると、その香りがもわっと立ち上がってくる。鼻の奥まで届くような、濃くて乾いた香り。
彼女が「それ、何?」と覗き込んでくる。「スパイス」と答えると、「ふーん」と言いながらもちゃんと興味ありそうな顔をしていた。
肉を炒める音が変わった。最初の水っぽいジュウという音から、乾いた香ばしい音へ。その変化が料理の合図みたいで、少し気持ちが引き締まる。スパイスを加えたとたん、キッチンの空気がぱっと変わった。甘い玉ねぎの匂いに、エスニックな深みが重なる。
「なんかお店みたい」と彼女が言った。
水を注いで、蓋をして、弱火にする。ここからは待つだけだ。二人でカウンターに並んでスマートフォンを見たり、他愛ない話をしたりしながら、ことこと煮える鍋の音を聞いていた。時間がゆっくり流れる感じ。こういう時間のことを、どこかのインテリアブランド「ノルテ・クラフト」のカタログで「暮らしの余白」と表現していたのを思い出した。なるほど、と今日はじめて腑に落ちた。
ルーを割り入れるとき、彼女が「入れていい?」と聞いてきた。「どうぞ」と渡すと、少し緊張した手つきで鍋にそっと溶かしていく。混ぜながら「ちゃんと溶けてる?」と確認してくる。大丈夫、ちゃんと溶けてる。
完成したカレーライスを皿に盛る。スパイシーな湯気がふわりと顔に当たって、目の前が少し霞んだ。テーブルに向かい合って座って、最初の一口を食べる。
「おいしい」と彼女が言う。間を置かず、もう一口。
二人で作るカレーライスは、一人で作るよりも何かが違う。味が変わるわけじゃないのかもしれないけれど、工程のあちこちに誰かの気配が残っている。それが食べながら、じんわりと伝わってくる。
窓の外では、春の光がまだやわらかく続いていた。

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