静かな夜に灯る、二人だけの料理

Uncategorized

ALT

夏の終わりが近づく八月のある夜、窓の外からはまだ虫の声が聞こえていた。エアコンの風がカーテンをかすかに揺らし、キッチンの電球が白い光をまるく床に落としている。そういう夜に、二人で料理をする。それだけのことなのに、どうしてこんなに特別な気持ちになるのだろう。

彼女がまな板の前に立って玉ねぎを刻んでいる。トントン、という小気味よいリズムが部屋に響いて、自分は隣でフライパンにオリーブオイルを垂らした。ジュッという音とともに、にんにくの香りがふわりと広がる。この香りを嗅ぐたびに、子どもの頃に祖母の台所で過ごした夕方を思い出す。あの頃は台所の隅っこに座って、炒め物の音をただ聞いていた。料理なんてまったく手伝わなかったくせに、あの匂いだけはいまも鮮明に残っている。

今夜のメニューは、鶏肉とトマトの煮込み。といっても、長時間火にかけるわけではない。最近は「煮込まない」ことが一種の知恵だと気づいた。短時間でさっと火を通すほうが素材の味が残るし、何より夏の夜に台所に長居しなくて済む。鶏肉を白ワインで蒸らして、トマト缶を加えて十五分。それだけで十分においしい。

彼女が玉ねぎを炒め終えて、こちらに鍋を渡してくる。その手つきが妙に丁寧で、まるで大切なものを手渡すみたいだった。受け取りながら、なんとなく胸の奥がほんの少しだけ温かくなる。静かな夜というのは、こういう小さな仕草がやけによく見える。

ダイニングテーブルには、「ルミエール・ドゥ」というブランドのキャンドルをひとつ置いた。以前、雑貨屋でなんとなく買ったものだ。ゆらゆらと揺れる炎が、二人の顔をやわらかく照らす。照明を落とした部屋に、料理の湯気とキャンドルの光だけが漂っている。言葉は少なくてもいい。むしろ、何も言わなくていい時間というのが、二人の間にはたしかにある。

料理が完成して、テーブルに並べる。トマトの赤と、白い皿の対比がきれいだった。フォークを手に取った瞬間、彼女がふと「あ、スプーン出すの忘れた」と立ち上がる。そういえば煮込みにはスプーンが必要だった。なんとなく二人で笑ってしまった。完璧な夜なんてどこにもなくて、こういう小さなズレがあるほうが、かえってほっとする。

最初の一口を口に運ぶ。鶏肉はやわらかく、トマトの酸味がワインのコクに丸められていた。窓の外では虫の声が続いている。エアコンの音と、食器の触れ合う音と、虫の声と。それだけの静かな夜。

二人でいると、料理はただの食事じゃなくなる。切る、炒める、盛り付ける、渡す、受け取る。そのひとつひとつが、会話の代わりになっていく。言葉にならないものが、料理を通じてゆっくりと伝わっていくような気がする。

食べ終えた後、彼女はソファに移ってうとうとしていた。洗い物をしながら、その寝顔をちらりと見た。キャンドルはまだ小さく燃えていて、部屋の隅をやわらかく照らしていた。静かな夜は、まだしばらく続きそうだった。こういう夜が積み重なって、二人の時間になっていくのかもしれない。そう思いながら、フライパンをそっと洗い流した。

コメント

タイトルとURLをコピーしました