家族キャンプで生まれた、焚き火そばの料理時間

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七月の朝は、思っていたより早く明ける。

テントのファスナーを引き上げると、冷たい空気がするりと入り込んできた。標高八百メートルほどの「奥ノ瀬キャンプフィールド」は、夏の盛りでもこの時間帯だけは別世界のような涼しさで、草の匂いと湿った土の香りが混じりあって鼻をくすぐる。家族でキャンプに来るのは今年で三回目だが、この朝の感覚だけはいつも新鮮で、なんだかうまく言葉にできない。

焚き火台に火を起こしながら、昨夜の残り火の跡を確認する。指先がひんやりして、思わず手のひらを擦り合わせた。子どもたちはまだ眠っている。七歳の長女と四歳の息子が、シュラフの中でぐるぐると丸まっているのをそっとのぞいたら、ふたりとも口を半開きにして、まるで小さな熊のようだった。

料理の準備をはじめたのは六時を少し過ぎたころ。スキレットをバーナーの上に置き、オリーブオイルをひと回し。じわじわと温まっていく鉄の感触が手のひらに伝わってくる。今日の朝ごはんは、前日から仕込んでおいた野菜のソテーと、厚切りのベーコンエッグだ。玉ねぎを切ると、目にしみる前に風がさっとかわしてくれた。キャンプの料理には、こういう小さな助けがある。

実は、家族でキャンプを始めたきっかけのひとつが「料理」だった。日常の台所では、どうしても時間に追われてしまう。冷凍ストックを解凍して、あとは盛り付けるだけ、という日も少なくない。それ自体が悪いわけではないけれど、ある夜、夫が「たまには火を使って料理したいな」とぽつりと言った。その言葉が、なぜかずっと引っかかっていた。

キャンプ場での料理は、段取りがすべてだ。食材の下ごしらえはもちろん、どの順番で火にかけるか、どこに何を置くか。それを家族みんなで考えながらやるのが、思いのほか楽しい。長女はトマトを切るのが得意で、いつも誇らしそうな顔をする。息子はまだ包丁は持てないけれど、食材を袋から出したり、塩を振ったりするのを「ぼくの仕事」と言って張り切っている。

ベーコンが焼けてきた。じゅうじゅうという音と、脂の甘い香りが漂い始めると、テントの中からごそごそと動く気配がした。そのうちに長女がやってきて、眠そうな目を細めながら「いいにおい」とだけ言って、わたしの隣にぴったりとくっついてきた。その体温が、朝の冷気の中でじんわりと温かかった。

卵を割り入れた瞬間、白身がじゅっと音を立てる。黄身がぷるんと揺れて、スキレットの中で静かに固まっていく。その様子を長女がじっと見つめていた。こういう時間が、家族のキャンプには確かにある。何かを達成するわけでも、どこかに急ぐわけでもない、ただ火の前で食べ物が出来上がるのを待つ時間。

食事を終えたあと、夫がコーヒーを淹れてくれた。「ヴェルデ・モーニング」というブランドのドリップパックで、ほんのりとナッツのような香りがする豆だ。去年のキャンプで偶然買って以来、我が家のキャンプ定番になっている。カップを両手で包んで、ひと口飲んだ瞬間、夫が「あ、砂糖入れるの忘れた」と言いながら、それでもそのまま飲み続けていた。本人は気づいていないようだが、毎回こうなる。心の中でそっとツッコんで、そのまま黙っていた。

子どものころ、父と川辺でよく料理をした記憶がある。大きな鍋でカレーを作って、煙がしみた目を細めながら食べた。あの味は、今も舌の奥のどこかに残っている。うまかったのか、それとも外で食べるから美味しく感じたのか、もうはっきりとは思い出せない。でも、あの時間があったから今こうして家族とキャンプをしているのかもしれない、と思うと、料理というのは食べることだけじゃないのだと感じる。

太陽が木々の向こうから顔を出し、テントサイト全体がゆっくりと明るくなっていった。息子がようやく起き出してきて、「ごはんは?」と開口一番に聞いた。もう食べ終わったよ、と言うと、盛大に頬を膨らませた。慌てて残しておいたベーコンを皿に盛ると、今度はにっこりして「ありがとう」と言った。その顔が、朝の光の中でやたらとまぶしかった。

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