韓国料理を囲んで、ちょっと辛くてワイワイガヤガヤな夜の記憶

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あの夜のことは、たぶんしばらく忘れないと思う。

十一月の終わり、風がようやく本格的に冷たくなってきた金曜日の夜のことだった。友人たちが私の部屋に集まって、韓国料理を作ることになっていた。発端は些細なことで、グループチャットに誰かが「チャプチェ食べたい」と送ったのが始まりだ。それだけのことで、気づけば六人が集まっていた。

台所はすぐに騒がしくなった。

コチュジャンの赤い色がまな板に広がって、誰かが「これ多すぎない?」と笑いながら言っていた。ユナ(今回の料理担当を自称していた)は「大丈夫、ちょっと辛いくらいが美味しいんだよ」と言いながら、躊躇なく追加していた。その「ちょっと」がどのくらいなのか、この時点では誰もわかっていなかった。

ごま油の香りが部屋中に広がっていく。

あの香りは不思議で、嗅ぐたびに記憶のどこかを刺激する。子どもの頃、母が作ってくれたナムルの匂いに似ていた。あの頃は韓国料理なんて呼ばず、ただ「お母さんの料理」だと思っていたけれど、今思えばあれはちゃんとした韓国家庭料理だったのかもしれない。そんなことを考えながら、私は春雨を茹でていた。

鍋の蒸気が顔にかかって、少し熱い。

ワイワイガヤガヤと声が重なる中、誰かがスピーカーから音楽を流し始めた。架空のプレイリストアプリ「ソニムーン」で作ったという韓国のインディーズ曲が、台所の喧騒に溶け込んでいく。歌詞はわからないのに、なんとなく気持ちが上がるのが不思議だった。

テーブルに料理が並び始めたのは、夜の八時を少し過ぎた頃。チャプチェ、サムギョプサル風に焼いた豚バラ、キムチチゲ、それからよくわからないまま作られたナムルの盛り合わせ。全員が椅子に座って、乾杯の声が重なった。

最初のひと口で、テーブルが静かになった。

一瞬だけ、本当に一瞬だけ。そしてすぐに「辛い!」「でも美味しい!」「辛い!!」という声が重なって、またワイワイガヤガヤが戻ってきた。ユナは「ほらね、ちょっと辛いくらいでしょ」と涼しい顔をしていたが、目が少しだけ潤んでいた。それを指摘したら、「玉ねぎが目に染みた」と言い張っていた。玉ねぎはもう全部炒め終わっていたのに。

辛さで頬が赤くなって、みんな笑っていた。

水を飲んで、また食べて、また辛いと言って笑う。そのループが心地よかった。誰かが「牛乳持ってくる」と立ち上がって、冷蔵庫から取り出した牛乳パックを回し飲みするという、なかなかに雑な展開になったが、それがまたおかしくて笑いが止まらなかった。

料理がうまいとか、段取りがよかったとか、そういうことではない。

ただ、みんながそこにいた。肘が触れるくらいの距離で、同じものを食べて、同じ辛さに顔をしかめて、同じ空気を吸っていた。窓の外では風が木の枝を揺らしていて、室内の温かさがより際立って感じられた。暖房の温度は少し高すぎたかもしれないけれど、誰も下げようとしなかった。

韓国料理には、人を集める力があると思う。

辛さがあるから飲み物が進む。飲み物が進むから会話が続く。会話が続くから、夜が長くなる。気づけば十二時を過ぎていて、「もう帰らないと」と言いながら誰も帰らなかった。

最後に残ったキムチチゲを全員で少しずつ分けて、鍋が空になった。

それだけのことなのに、なぜかとても満たされた気持ちになっていた。また集まろうと誰かが言って、全員がうなずいた。次は誰が「ちょっと辛い」の基準を担当するのか、まだ決まっていない。

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