
実家の食卓は、いつも静かだった。
テレビもつけない。会話もほとんどない。ただ箸が茶碗に当たる音と、父が味噌汁をすする音だけが響いていて、私はそれが普通だと思っていた。小学生の頃から、うちの夕食はそういうものだったから。友達の家でご飯をご馳走になったとき、家族がワイワイ喋りながら食べているのを見て、逆に落ち着かなかったのを覚えてる。
母が作る料理は、いわゆる日本料理の基本に忠実だった。焼き魚、煮物、お浸し、味噌汁。品数は必ず四品以上。見た目も地味で、インスタ映えとは対極にある茶色と緑の世界。でも栄養バランスは完璧で、私は風邪ひとつ引かずに育った。
父は黙々と食べる人で、「美味い」とか「今日の味付けは少し濃いな」とか、そういう感想を一切言わなかった。母も何も聞かない。私も何も言わない。ただ淡々と、出されたものを食べる。それだけ。
穏やかといえば穏やか。平和といえば平和…だけど。
大学で一人暮らしを始めて、初めて自分で料理を作るようになった。レシピサイトを見ながら肉じゃがを作ったとき、味見をして驚いた。「あれ、これ実家のより美味しくない?」って。最初は調味料のせいかと思った。使ってる醤油が違うとか、砂糖の種類が違うとか。でも何度作っても、私の雑な料理のほうが美味しい。友達を呼んで食べてもらっても「普通に美味しいよ」って言われる。
そこでようやく気づいた。母の料理、もしかして下手なのでは…?
確信したのは、去年の正月だった。久しぶりに実家に帰って、母の雑煮を食べたとき。出汁の味がほとんどしなくて、餅と野菜がただお湯に浮いてるだけみたいな感じ。昔はこれが普通だと思ってたのに、今は「薄い」ってはっきり分かる。父は相変わらず無言で食べてる。私も何も言えなかった。
母は料理本を見ない人だった。祖母から教わった作り方を、ずっとそのまま守ってる。計量もしない。全部目分量。「昔からこうやって作ってるから」が口癖で、新しいレシピに挑戦することもなかった。考えてみれば、カレーもシチューも、うちの食卓に並んだ記憶がない。ハンバーグすら出たことがなかった気がする。
ある日、母に聞いてみた。「お母さん、料理好き?」って。母は洗い物をしながら、少し考えて「好きじゃないけど、やらなきゃいけないから」って答えた。そっか、と思った。義務だったんだ、ずっと。
食卓が静かだった理由も、なんとなく分かった気がする。美味しいものを食べてるときって、自然と「これ美味しいね」って言葉が出るものだ。でもあの食卓には、そういう言葉が生まれる余地がなかった。父も私も、特に不味いとは思ってなかったけど、特に美味しいとも思ってなかった。ただ栄養を摂取する時間。それが夕食だった。
最近、料理系のYouTubeをよく見る。プロの料理人が家庭料理を作る動画とか、海外の家族が一緒に料理する動画とか。みんな楽しそうに喋りながら作って、楽しそうに食べてる。「うちとは違うな」って思いながら見てる。羨ましいとかじゃなくて、ただ違うんだな、って。
母を責める気持ちはない。むしろ、30年間毎日料理を作り続けてくれたことに感謝してる。栄養バランスを考えて、私の健康を気遣ってくれてた。ただ、美味しさは二の次だっただけ。
今でも実家に帰ると、あの静かな食卓がある。父と母と私、三人で黙々と食べる。変わらない風景。でも今の私は、その沈黙の意味を少し理解してる気がする。
来月また実家に帰る予定があるんだけど、今度は私が何か作ってみようかな。母の味を否定するわけじゃなく、ただ「こういう味付けもあるよ」って、さりげなく。それで少しでも会話が生まれたら…いいな、とは思うけど。期待はしてない。

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