
九月の空は、どこかいつもより高い。
東京を出て三時間、長野の山あいにある「ヒノモリオートキャンプ場」に着いたのは、ちょうど昼をすこし過ぎた頃だった。テントを張り終えた頃には汗がにじみ、それでも吹き抜ける風がひんやりと首筋をなでていく。標高のせいか、空気の粒が細かい気がする。こういう感触を、なんと呼べばいいのかわからないまま、ただ気持ちいいと思っていた。
キャンプに来た目的はひとつ。家族みんなで料理をすること、だ。
ふだんの家では、どうしても料理は「だれかひとりがやるもの」になりがちだ。夫は洗い物担当、子どもたちは食べる専門。それが悪いわけじゃないけれど、なんとなく、もったいない気がしていた。料理って、もっと一緒にできるはずだと。
焚き火台に薪を組み始めると、七歳の息子がすかさず横に並んだ。「ぼくもやる」と言いながら、小枝を拾い集めてくる。その小枝が、やたら太い。どう見ても薪のサイズだ。でも本人はいたって真剣な顔で「これ、いい感じでしょ」と差し出してくるので、思わず笑いをこらえてしまった。ありがとう、と受け取って、こっそりひとまわり細いものと入れ替えた。
火が落ち着いてきた頃、今日のメニューを並べ始める。
スキレットに油を引いて、じゃがいもを並べる。ごろりとした塊のまま、皮ごと焼く。ジュッという音が、あたりに広がる。それだけで、なんだかもう食欲が動き出す感じがあった。娘が「いいにおい」と言いながら近づいてくる。彼女の担当はコーンのバター炒めで、アルミホイルにくるんだとうもろこしを、真剣な顔で火の端に置いていた。こんなに集中した顔、ふだんの食卓では見たことがない。
今回、調味料として試してみたのが、ハチミツと一味を合わせた自家製の甘辛ソースだった。スパイシーな甘みがじゃがいもにからんで、これが驚くほど合う。子どもたちは「ちょっと辛い」と言いながらも、もう一個、とスキレットに手を伸ばしていた。最近流行りの「甘辛」の組み合わせは、キャンプ料理との相性がいいと聞いていたけれど、本当にそうだった。
夫がコーヒーを淹れてくれた。
山の水で沸かしたお湯は、なんとなくやわらかい。ホーローのカップに注がれたコーヒーは、煙の香りとまざって、不思議な深みがあった。受け取るとき、カップが思ったより熱くて、思わず「あつっ」と言ってしまった。夫が「ごめん、タオル持ってくる」と立ち上がる。そのやりとりが、なんでもないのに、妙にうれしかった。
子どもの頃、父と川べりで焼いたサンマを思い出す。あのとき、うまく焼けなくて皮がぼろぼろになって、それでも「うまい」と言って食べた。料理の味って、だれと食べるかで変わるんだと、そのとき初めてわかった気がした。今、ここで、家族と火を囲みながら、同じことを感じている。
夕暮れが近づくと、山の稜線がオレンジと紫に染まり始めた。
焚き火の光が揺れる。息子はいつの間にかうとうとしていて、娘はまだ「デザートは?」と聞いてくる。夫がバナナとチョコレートをアルミホイルに包んで火に入れた。五分後、とろけたチョコレートがバナナにからんで出てきたとき、娘が「すごい!」と声を上げた。その顔を見て、料理ってこういうことだと、改めて思う。
手が込んでいなくてもいい。うまく焼けなくてもいい。火の前に並んで、においをかいで、熱さに顔をしかめながら一緒に作ること。それが、家族のキャンプ料理の本当のごちそうなのかもしれない。

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