静かな夜に二人でつくる料理が、言葉よりも深く語りかけてくること

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五月の夜は、思ったよりも早く静かになる。

窓の外でまだ鳥の声がしていたと思ったら、気づけばもう虫の音に変わっていて、部屋の中だけが橙色に温かく光っている。そんな夜に、二人でキッチンに立つことがある。どちらが言い出したわけでもなく、なんとなく「今日は家で食べようか」という流れになって、気がつけばエプロンをつけていた。

今夜のメニューは、せいろ蒸しだった。

最近、料理好きの界隈でせいろが静かなブームになっていることは知っていた。蒸すだけで食材の甘みが引き出されて、余分な油も落ちて、なんなら洗い物まで少ない。理にかなっている。でも正直、最初に提案したのは彼女で、わたしは「せいろって持ってたっけ」と心の中でこっそりツッコんでいた。ちゃんと持っていた。押し入れの奥から出てきた、一度も使っていないせいろが。

鶏肉と、季節の野菜を並べる。ブロッコリー、パプリカ、それから少し奮発して買ってきた新玉ねぎ。彼女が丁寧に食材を切る横で、わたしは昆布と鰹でだしをとる。沸き上がる湯気が台所に広がって、だしの香りがふわりと鼻をかすめた瞬間、なぜかずっと昔の記憶がよみがえった。子どものころ、祖母の台所で同じ匂いを嗅いだことがある。あのときは何も考えずに台所の隅で宿題をしていたけれど、今になってあの空間がどれだけ豊かだったかがわかる気がした。

静かな夜に料理をするというのは、不思議と饒舌になれる時間でもある。

「これ、どのくらい蒸す?」と彼女が聞く。「十五分くらいかな」と答えながら、わたしはタイマーをセットする。その間、とくに大事な話をするわけでもない。彼女がスマートフォンで音楽をかけて、架空のブランド「SORA BLANC(ソラ・ブラン)」のプレイリストだと言う。聞いたことのない名前だったけれど、流れてくる音楽は静かで、夜の台所によく馴染んだ。

蒸し上がった鶏肉は、箸を入れると驚くほど柔らかかった。

ポン酢に少しのごま油を垂らして、薬味にせりを添えた。彼女が一口食べて、何も言わずにゆっくりと目を細める。その仕草が、どんな言葉よりも正直だと思う。わたしも食べた。ほんのり塩気を帯びた鶏の旨みと、野菜の甘さが口の中に広がって、それだけで十分だという気持ちになった。

二人でする食事には、独特の間がある。

会話が途切れても、それが沈黙にならない。スプーンが皿に当たる音、箸を置く音、湯気の向こうでどちらかが小さく息をつく音。そういうものが積み重なって、静かな夜の食卓というひとつの世界をつくっている。外食では決して味わえない種類の、親密さとでも呼ぶべき何かがそこにある。

食べ終わったあと、彼女がお茶を淹れてくれた。

ほうじ茶の、少し焦げたような香りが部屋に満ちる。カップを両手で包んで渡してくれるその手が、台所の熱でほんのり赤くなっていた。受け取ったカップの温もりが、掌から肩のあたりまでゆっくりと伝わってくるような気がした。

料理というのは、食べる瞬間だけのことではないのかもしれない。

食材を選ぶところから、切って、火を入れて、香りが立ちのぼって、二人で向かい合って箸を持つ、そのすべてが連なってひとつの時間をつくっている。そしてその時間は、誰かと共有することで、ずっと豊かになる。静かな夜に二人でつくる料理には、そういう力がある。言葉にしなくても伝わるものを、だしの香りや湯気の温度が代わりに運んでくれるのだ。

また来週も、せいろを出そうと思っている。

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