
五月の午後というのは、光の差し方がどこか柔らかくて、それでいて少しだけ眩しすぎる。窓から差し込む日差しがカウンターの木目に落ちて、細長い影をつくっていた。その日、私たちはちょっと広めのキッチンに並んで立ち、カレーライスを二人で作ることにした。
きっかけは些細なことだった。彼女が冷蔵庫を開けながら「玉ねぎ、三つある」と言っただけ。それだけで、なんとなく方向が決まった。
まず玉ねぎを刻む。包丁の音がリズムよく続き、その音の隙間に換気扇の低い唸りが混じる。目が滲んでくる前に、彼女はさっと顔を背けて小さく笑った。「なんで今日に限ってこんなに辛いんだろう」と言いながら、目を細めて続けている。その横顔を見て、私はなんとなく手を止めてしまった。
フライパンに油を引いて、玉ねぎを炒め始めると、キッチン全体がじわじわと温まっていく。飴色になるまで炒めるのが面倒に感じる日もあるが、この日は不思議と焦らなかった。彼女が隣でじゃがいもの皮を剥きながら、子どもの頃の話をしていたからかもしれない。「うちのお母さんのカレー、なぜかいつも甘かったんだよね。バーモントカレーだったのかな」と言いながら、じゃがいもをころんと鍋に落とす。私の実家は逆に、毎回スパイシーで、食べるたびに額に汗をかいていた記憶がある。小学三年生のとき、辛さに耐えられなくて牛乳を二杯飲んだことを、なぜかよく覚えている。
今日のカレーは、少し本格的にやってみようと決めていた。市販のルーに加えて、「アロマスパイス東京」というブランドのクミンとコリアンダーを用意してあった。缶を開けた瞬間、鼻の奥に届く香りがまるで違う。土っぽくて、でも爽やかで、異国の台所に迷い込んだような気分になる。スパイシーな香りというのは、嗅いだ瞬間に何かを思い出させる力がある。どこかの市場の、雑踏と香辛料が混ざり合った空気。行ったことのない場所の記憶みたいなもの。
鶏肉を加えて炒めると、じゅわっという音とともに香ばしさが立ち上がる。煮込みに入ると、キッチンはもうすっかりカレーの世界になる。窓ガラスが少し曇り始めて、外の光がぼんやりと滲む。彼女がお玉でそっとかき混ぜながら、「いい匂い」と言った。それだけの言葉なのに、なぜかその瞬間がやけに鮮明に残っている。
二人で作るカレーライスには、一人で作るときとは違う時間の流れがある。誰かが炒めている間に誰かが洗い物をして、どちらかが「水、もう少し足す?」と聞いて、もう一方が鍋を覗き込む。その小さなやり取りが積み重なって、料理が完成していく。
ルーを割り入れてしばらく経ったころ、彼女が木べらで底をすくいながら「ちょっと味見して」と言った。差し出されたお玉を受け取って、一口。スパイシーな辛さが舌の奥に広がって、それからじわじわとコクが追いかけてくる。悪くない、というより、かなりいい。「美味しい」と言うと、彼女は少し得意そうな顔をした。自分もほとんど何もしていないのに、なぜか私まで誇らしい気持ちになった。
カレーライスというのは不思議な料理だ。どこの家庭にもあって、みんなが知っていて、でも食べるたびに少しずつ違う。スパイスの配合が変わるだけで、別の料理になる。二人で作ると、また別の味になる。
ごはんを盛って、カレーをかけて、テーブルに運ぶ。五月の夕方の光が窓から斜めに差して、器の縁をオレンジ色に染めていた。最初の一口を食べながら、彼女が「来週も作ろうか」と言った。私は頷きながら、次はもう少しクミンを増やしてみようと、心の中でひっそりと計画を立てていた。

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