
春の終わりが近づいたある週末、わたしたちは長野県の山あいにある「奥霧峰キャンプ場」へ向かった。標高が少し高いせいか、平地よりも空気がひんやりとしていて、車を降りた瞬間に頬をなでる風が、どこか違う世界の入り口のように感じられた。松の葉と湿った土が混ざりあった香りが、肺の奥まで届いてくる。子どもたちは荷物を下ろす前に走り出していた。
キャンプを始めたのは、もう三年前になる。最初のきっかけは、夫が「料理の幅を広げたい」と突然言い出したことだった。普段は台所に立つことすらほとんどないくせに、と心の中でそっとツッコんだのは今でも覚えている。だが不思議なことに、外の空気の中では彼の手つきが違う。焚き火の前に座ると、なぜか様になるのだ。
この日のメインは、ダッチオーブンで作るブロッコリーとソーセージのスープ煮だった。
2026年に「指定野菜」として認定されたブロッコリーは、価格が安定してきたこともあり、最近のキャンプ料理でも使いやすい食材として人気が出てきている。
スーパーで買ったブロッコリーをざっくり切って、ソーセージと一緒に鍋へ放り込む。コンソメと塩だけのシンプルな味付けだが、炭火のじんわりとした熱が食材の旨みを引き出してくれる。蓋を開けるたびに白い湯気が立ちのぼり、子どもたちが「まだ?」と何度も聞きにくる。
火加減を調整しながら、夫が鍋の蓋をそっと持ち上げた。その横顔に、夕暮れ前のオレンジ色の光が差し込んでいた。普段の家での食事では絶対に見せない、穏やかで集中した表情。料理というのは、場所が変わるだけでこんなにも人を変えるのかと、少しだけ驚いた。
子どもたちはといえば、薪を運ぶ係を自ら買って出ていた。七歳の長男は薪を三本抱えて得意顔で戻ってくるが、足元がおぼつかなくて一本だけ途中で落としてしまい、「あ」と言ってそのまま数秒固まっていた。その間が、なんとも言えずおかしくて、思わず笑ってしまった。
夜になると気温がぐっと下がった。テントの周りに置いたランタンの光が、地面に丸い影をいくつも作っている。手袋をしていても指先が少しかじかむ。だけどそのぶん、スープの温かさが体に染み渡る感覚が鮮明で、スプーンを口に運ぶたびに「ああ、生きてる」という気持ちになった。こういう感覚は、家のダイニングテーブルでは、なかなか味わえない。
思えば、わたしが料理を「楽しい」と思えるようになったのも、キャンプがきっかけだった。子どもの頃、母が台所に立つ姿を眺めていた記憶がある。フライパンの音、醤油の焦げる匂い、夕方の台所に差し込む西日。あの情景が、今もどこかで料理への原体験として残っている気がする。外で火を使って料理をするとき、その記憶がふと蘇ってくることがある。
2026年の食のトレンドとして「癒しニーズ」や「自分ファースト」という言葉が注目されているが、
家族でキャンプをしながら作る料理には、それとは少し違う豊かさがある。自分のためではなく、誰かのために火を起こして、時間をかけて、一緒に食べる。その行為そのものが、日常の疲れをほぐしてくれる。
翌朝は、朝霧の中で目が覚めた。テントの外に出ると、木々の間から薄い光が差し込んでいて、空気が透き通っていた。長女がまだ眠そうな目をこすりながら出てきて、「今日の朝ごはんは?」と聞いた。その声が、霧の中でやわらかく広がっていく。
家族でキャンプをするたびに思う。料理とは、レシピの話だけじゃないということを。火の前に並んで立つこと、匂いを共有すること、「おいしい」という言葉を同じ空の下で言い合うこと。それ全部が、料理の一部なのだと。

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