
九月の終わりが近づくと、空気がほんの少しだけ変わる。夏の名残を引きずりながら、それでも朝晩はたしかに冷えてくる。そんな季節の変わり目に、わが家は毎年恒例のキャンプへと出かける。今年の目的地は、長野県の山間に広がる「ヒノキノ原キャンプ場」。標高がやや高く、昼間でも木陰に入ればひんやりとした空気が頬を撫でる場所だ。
テントを張り終えると、子どもたちはすぐに駆け出していった。川の方向へ、木の根っこをよけながら。その背中を見送りながら、私は焚き火台の前にしゃがみ込んで火おこしを始める。乾いた枝がパチパチと音を立て、やがて橙色の炎がゆっくりと広がっていく。煙が鼻の奥をくすぐる。この匂いを嗅ぐたびに、子どもの頃に祖父と行った川原でのバーベキューを思い出す。あのとき祖父は、肉をひっくり返すタイミングをいつも間違えていた。焦げた表面を「これが旨みだ」と言い張っていたのが懐かしい。
今回の家族キャンプの目玉は、料理だった。ただ焼くだけではなく、ちゃんと「作る」こと。妻がリュックの奥から取り出したのは、スパイスの小瓶がいくつかと、下ごしらえ済みの豚バラ肉。2026年のトレンドを意識して、甘辛の「Swicy」ソースを仕込んできたらしい。蜂蜜と唐辛子と醤油を合わせた自家製タレで、焚き火の遠赤外線でじっくり焼き上げる計画だという。なるほど、準備が良い。
鉄製のスキレットが温まるにつれ、肉の脂が溶け出す音がし始める。ジュウジュウという低い音。それに重なるように、川のせせらぎが遠くから届いてくる。子どもたちの笑い声も混じって、夕暮れ前の林はにぎやかだった。長女が戻ってきて、「お腹すいた」と私の袖を引っ張る。その手が少し冷たくて、思わず両手で包んでやった。
料理が仕上がる少し前、妻がスキレットの様子を確認しようとしゃがんだ瞬間、持っていた木べらを焚き火台の脇にポトリと落とした。慌てて拾おうとして、今度は膝で地面をつついてしまい、「あいたっ」と小さく声を上げた。子どもたちが「ママ大丈夫?」と駆け寄り、妻は「全然大丈夫、料理人はこれくらい平気」と笑って見せた。その顔が、炎の光に照らされてなんとも言えず温かかった。
スキレットから立ち上る湯気が、夕暮れの冷えた空気に溶けていく。甘辛い香りが鼻腔を包む。家族みんなで皿を囲んで、焼けた肉を頬張ると、外で食べるというだけでなぜこんなに美味しいのかと毎回思う。
食べながら、次男が「また来ようね」とつぶやいた。誰に向けて言ったわけでもなく、ただ空に向かって言ったような声だった。妻と目が合って、どちらからともなく頷いた。家族でキャンプに来るたびに、料理を作る時間そのものが旅の核心になっていると気づく。買い物の段階から、食材を選んで、火を起こして、失敗して、笑って。その一連の流れが、日常では味わえない密度を持っている。
炎が少しずつ小さくなっていく。子どもたちは食べ終わって、またどこかへ走っていった。妻がコーヒーを淹れてくれて、温かいカップを両手で受け取る。ひと口飲むと、ほんのりと苦みが舌に広がって、それがさっきの甘辛い肉の余韻と混ざり合う。秋の夜のキャンプ場は、静かになるのが早い。星が出始めていた。こういう夜のことを、きっとずっと覚えているだろうと思った。

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