友達と囲む手作りイタリアン料理の夜――家族みたいな賑やかさの中で

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五月の終わりというのは、妙に空気が甘い。夕方になっても明るさが長く残って、窓を開けると少しだけ湿った風が入ってくる。そんな夜に、友達を家に呼んで料理を作るのが、ここ最近の自分の中でいちばん好きな時間になっていた。

今年の春から、手作りのイタリアンでホームパーティをやるようになった。きっかけは些細なことで、去年の秋に近所にできたキッチン雑貨のセレクトショップ「ヴィラ・ポルタ」で大きなオーバル皿を衝動買いしてしまい、「これ、大人数で使わないともったいない」という、なんとも本末転倒な理由だった。

最初に呼んだのは六人。家族ぐるみで付き合いのある友人夫婦と、独身の友人が三人。子どもが二人混じると、リビングはあっという間にカオスになる。おもちゃが転がり、誰かの子どもが「パスタ食べたい」と言い張り、大人たちは笑いながらワインを開ける。その賑やかさがたまらなく好きだ。家族という単位を超えて、もっとゆるく、もっと雑然とした「場」が生まれる感じ。

料理はいつも、前日の夜から仕込みを始める。トマトソースをじっくり煮込む時間が好きで、にんにくをオリーブオイルで炒めた瞬間のあの香りが台所に広がると、なんだか気持ちが落ち着く。子どもの頃、母がカレーを作るときの玉ねぎを炒める匂いに似ている気がして、いつも少しだけ懐かしい気持ちになる。

当日のメインはラザニア。イタリアンの中でも、大人数に向いていてボリュームもある。熱々のうちに切り分けると湯気が立ち上って、チーズが糸を引く。あの瞬間、必ず誰かが「おお」と声を上げる。それを聞くのが、正直なところ一番うれしい。前菜にはカプレーゼと、バゲットに乗せたブルスケッタ。トマトとモッツァレラの赤と白が、衝動買いしたあのオーバル皿の上で思いのほかきれいに映えて、少し得意な気持ちになった。

テーブルを囲むと、会話はいつも食べ物の話から始まって、気づいたら仕事の愚痴になり、子育ての話になり、最終的には誰かの昔話で笑い転げている。友人の一人が、ラザニアをよそいながら「これ、外で食べるより全然おいしい」と言った。お世辞だとわかっていても、素直に嬉しかった。

食べながらふと気づいたのだが、今年は「家で本格的な料理を作る」という流れが確かに広がっている。外食のトレンドが家庭の食卓にも波及して、イタリアンに限らず世界各地の料理を自宅で再現する人が増えている。ホームパーティにイタリアンが選ばれるのは、見た目の華やかさと、意外なほどの作りやすさのバランスが絶妙だからかもしれない。

食後、子どもたちがソファで丸まってうとうとし始めた頃、大人たちだけがテーブルに残って、ゆっくりコーヒーを飲んだ。誰かが「また来月もやろう」と言った。返事をするより先に、全員がうなずいていた。

次回は何を作ろうか、と考えながら食器を洗う。泡の中に手を入れると、まだほんのり温かいお湯が心地よかった。窓の外、五月の夜はまだ少し明るくて、どこかで風が葉を揺らす音がした。料理は、食べ終わった後もしばらく、その場の空気の中に残っている気がする。香りとか、笑い声とか、誰かが「おいしい」と言った瞬間とか。そういうものが積み重なって、家族みたいな時間ができていくのだと思う。来月もきっと、あの大きなオーバル皿を出すことになるだろう。

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