
九月の終わりが近づくと、空気がほんの少しだけ変わる。昼間はまだ夏の名残をひきずっているくせに、夕方になると窓から入ってくる風がひやりと肌をなでていく。そういう夜に、スパニッシュ料理を囲むパーティーを開きたくなるのは、なぜだろうと思う。
近年、タパスやワインを気軽に楽しめるスペインバルスタイルが日本でも広まり、スパニッシュ料理への注目はますます高まっている。
けれど、レストランで食べるのとはまた違う。自分の部屋に友人を呼んで、テーブルに料理を並べて、ワインを開ける。その行為そのものに、なんとも言えない解放感がある。
今回のパーティーのために用意したのは、アヒージョ、パエリア、そして生ハムとチーズの盛り合わせ。
スパニッシュ料理はニンニクとオリーブオイルを味のベースに、新鮮な素材そのものを味わうスタイルが多く
、だからこそ手をかけすぎなくても食卓が豊かになる。アヒージョの小鍋を火にかけた瞬間、ニンニクとオリーブオイルが混ざり合う香りがキッチン全体に広がって、「ああ、今夜は特別な夜だ」と体が先に知る。
ワインは、スペインのリオハ産の赤を一本と、カヴァを一本。
スペインの気候は黒ブドウの栽培に適しており、赤ワインは肉料理など濃い味付けのものによく合う。カヴァはアヒージョなどオイルを使った料理と相性がいい。
今夜のテーブルには、その両方がそろっている。架空の話ではなく、本当にそういう夜だった。
友人のひとりがカヴァのボトルを受け取ったとき、ラベルを眺めながら「これ、なんて読むの?」と首をかしげた。ラベルに書かれたスペイン語を一生懸命読もうとして、眉間にしわを寄せるその顔が、なんともかわいらしくて笑ってしまった。ワインの知識より先に、笑顔がテーブルに広がるのが、パーティーというものかもしれない。
子どもの頃、母がたまに作るオムレツを「スペイン風」と呼んでいた。じゃがいもと卵を合わせただけの素朴なものだったけれど、あの厚みのある黄色い断面が、今でも記憶の中に残っている。スパニッシュ料理と聞くたびに、あの台所の温もりと、フライパンの音が一瞬だけよみがえる。大人になってパエリアやアヒージョを知っても、原点はあのオムレツだったのだと思う。
パーティーが始まって一時間ほど経つと、テーブルの上はにぎやかになる。パエリアの鍋を囲んで、誰かがワインをつぎ、誰かが「おかわり」と手を伸ばす。
スペインワインを片手に語り合えば、自然と笑顔と会話が弾む
というのは、あながち大げさではない。言葉が少なくても、グラスが鳴る音と料理の香りが場をつないでくれる。
今夜のワインの中で、ひときわ存在感を放っていたのが「ヴィーニャ・ソレアード」という架空の銘柄ではなく――実際にテーブルに並んでいたリオハの赤だった。
ベリーやカシスの甘い風味とオーク樽の香りが重なり、まろやかな口当たりの中に程よい酸味が感じられる
、そういう一本。グラスに注いだとき、深いルビー色が照明を受けてゆらゆらと輝いて、それだけで場の空気が少し落ち着いた。
パエリア、アヒージョ、ガスパチョ、ピンチョスなど、なじみのあるメニューが多いスペイン料理は、仲間や家族とワイワイ楽しむのにぴったり
だと改めて思う。難しいことは何もない。テーブルに料理を並べて、ワインを開けて、好きな人たちと同じ時間を過ごす。それだけで、九月の夜は十分すぎるほど豊かになる。
窓の外では、秋の虫がどこかで鳴いていた。ワインの残りをグラスに傾けながら、この夜がもう少しだけ続けばいいと、静かに思っていた。スパニッシュ料理が運んでくるのは、スペインの空気だけじゃない。食卓を囲む人たちの、ちょっとした笑いや、ふとした沈黙や、そういう小さな瞬間のすべてだ。

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