友だちと囲む韓国料理、ちょっと辛いのがちょうどいい夜の話

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九月に入ったというのに、夕方の空気はまだどこか夏の名残を引きずっていた。窓を少し開けると、外からは虫の声とアスファルトが冷えていくにおいが混じって漂ってくる。そんな夜、友人たちが私の部屋に集まった。

きっかけはたいしたことじゃない。「韓国料理食べたいね」という、グループチャットへの一言。それだけで四人が集まってしまうのだから、食の引力というのはなかなか侮れない。

2025年から2026年にかけて、「ヘルシー&レトロ」というキーワードが韓国グルメのトレンドとして注目されている
らしく、私もそれに乗っかる気持ちで、今回はサムギョプサルとチゲをメインに据えた。スーパーで買ってきた豚バラ肉は、冷蔵庫の中でひと晩ゴマ油と塩とにんにくに漬けてあった。

まず火をつけると、ジュウッという音が部屋に広がって、それだけで場の空気がふっと変わる。煙とともに立ち上るにんにくの香りに、「あ、始まった」という感覚が全員の顔に浮かぶ。ワイワイガヤガヤと話していた声が、一瞬だけ「おお」という歓声に変わる瞬間が、私はひそかに好きだ。

チゲの方は、
韓国で人気の「ちょっと辛い」進化系スタイルを意識して
、コチュジャンと豆腐と豚肉を合わせたスンドゥブ風にした。辛さはちょっと辛い、くらいに抑えた。辛いものが得意じゃない友人のハルカが来るから。でも結果的に、ハルカが一番おかわりをしていたのは内緒にしておく。

鍋がぐつぐつと煮立ってくると、赤いスープが縁でぽこぽこと泡立って、湯気がテーブルの上を漂い始める。そのあたたかさが肌にふれると、九月の夜風でひんやりしていた腕がじんわりとほぐれていく感覚があった。

友人のユイが、私に小皿を差し出しながら「これ、レモンサワーに合うかな」とつぶやいた。その仕草がなんとなく懐かしくて、小学生のころ、給食のおかずを「半分こしよう」と言いながら差し出してきたクラスメイトのことを、ふと思い出した。あのときと同じ角度で、人は何かを渡す。

飲み物は、私が最近気に入っている「ソウルナイトスパークリング」という架空のブランドを真似て、市販のマッコリに炭酸水を少し足したものを用意した。甘くてほんのり酸っぱく、チゲの辛さをやわらかく中和してくれる。

韓国料理の根底にある「五味五色」の哲学、つまり甘・酸・塩・苦・辛のバランス
というのは、こういう食卓を前にすると妙に腑に落ちる。辛いだけじゃなく、甘さがあって、酸味があって、それが全部重なるからおいしい。人が集まるときの空気も、そういうものかもしれない。賑やかさだけじゃなく、しずかな間があって、笑いがあって、ちょっとした沈黙があって、それでひとつの夜になる。

ワイワイガヤガヤと話しながら食べていると、誰かが「韓国料理って、なんで友達と食べると特においしいんだろう」と言った。答えは誰も出さなかったけれど、なんとなく全員がわかっているようだった。鍋を囲むという行為そのものが、距離を縮める。取り分けて、渡して、受け取って、また話す。その繰り返しの中に、何かがある。

夜が深くなるにつれ、チゲの量は減り、肉はなくなり、マッコリの瓶は空になっていった。それでも誰も帰ろうとしなくて、気づけば日付が変わる少し前まで、四人でテーブルを囲んでいた。

片付けをしながら、ユイがうとうとしながら洗い物をしていた。立ったまま眠れるのか、と思いながら、そっとスポンジを渡したら「ありがとう」とはっきり言った。起きていたらしい。

韓国料理の夜というのは、いつもこんなふうに終わる。お腹がいっぱいで、ちょっと辛くて、なんとなく満たされている。また来月も、やろうか。そう言いかけて、やめた。言わなくても、またやるのはわかっているから。

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