
窓の外がすっかり暗くなったころ、ようやくキッチンに立つ気持ちになる。仕事終わりの疲れが肩に残ったまま、それでも冷蔵庫を開けると、昨日買っておいた厚揚げと、少しだけ残った薬味の束が目に入った。
物価高が続く今、「厚揚げ」への注目が静かに高まっている
と何かで読んだのを思い出しながら、ああ、今夜はこれでいいかと思う。
彼が隣に立つ。とくに何も言わない。ただ、包丁を手渡してくれるときの、その自然な動作に、もう何百回も繰り返してきた時間の重さがある。料理というのは不思議なもので、言葉よりも先に、体が相手のリズムを覚えてしまう。
フライパンに油を引くと、小さな音が立ち上がる。ジュ、という一瞬の音。それだけで、この静かな夜が少し動き始めたような気がした。
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厚揚げを切りながら、子どもの頃のことを思い出す。母が台所に立つ背中を、夕暮れの台所でぼんやり眺めていたあの時間。あのころは料理の意味なんてわからなかった。ただ、いい匂いがして、お腹が空いて、それだけで十分だった。今は少し違う。誰かのために切る、誰かのために火を通す、その行為の中に、言葉にならないものが宿っている気がしている。
薬味を刻む音が、部屋に小気味よく響く。
セリやミツバといった薬味系食材が、今年の食卓でじわじわと存在感を増している
というのも、なんとなく腑に落ちる。派手じゃないけれど、あると全然違う。二人の関係に少し似ているかもしれない、などと考えたら少し恥ずかしくなって、黙って鍋に放り込んだ。
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「ちょっと火、強すぎない?」
彼が覗き込んでくる。確かに、煮汁が少し激しく跳ねていた。慌てて火を弱めながら、内心ちょっと焦った。料理中に物思いにふけるのは、そろそろやめたほうがいい。
出汁の香りが部屋全体に広がっていく。
「自分をいたわる料理」へのニーズが高まっている
と言われるけれど、二人でいたわり合う料理というのは、また別の話だ。一人のときとは、香りの感じ方まで違う。誰かがそこにいるだけで、同じ出汁がもう少し深く、温かく届く気がする。
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器を二つ、並べて置く。架空のブランド「ニチカ陶房」で一目惚れして買ったグレーの小鉢は、どんな料理を盛っても、なぜかしっくりくる。今夜の厚揚げの煮物も、薬味をひとつまみ散らすだけで、それなりに様になった。
テーブルに向かい合って座る。外はもう完全に静かな夜だ。遠くで虫の声がする。窓ガラスに、部屋の灯りがうっすら反射している。
「おいしい」と彼が言う。それだけ。でも、その一言の中にある満足感の重さを、私はちゃんと受け取る。
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二人で料理をする時間は、準備から盛り付けまで楽しさを共有できる特別な体験
だと言う人がいる。それは正しいと思う。けれど、もっと地味な部分にも、確かに何かがある。洗い物をしながら話す、どうでもいいこと。冷めかけたお茶を飲みながら、次は何を作ろうかと考える、その漠然とした時間。
料理は完成したときだけが、料理じゃない。切って、煮て、香りを嗅いで、失敗して、笑って、また作る。その全部が、静かな夜の二人の食事を、ただの食事じゃないものにしている。
今夜もきっと、そういう夜だった。

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