
十月の終わりごろ、夜が少しずつ長くなってきた。窓の外はもう完全に暗く、街灯の光だけが細い雨に滲んでいる。キッチンに立つと、足元のフローリングがひんやりしていて、思わず靴下を一枚余分に履きたくなるような、そういう夜だった。
彼女がまな板の前に立ち、玉ねぎを切りはじめる。目が沁みるのを堪えながら、それでも黙々と包丁を動かしている。その横顔を見ながら、私はフライパンにオリーブオイルを引いた。ジュ、という小さな音が静かな部屋に広がる。香りが立ち上った瞬間、なんとなく二人の距離が縮まる気がした。料理って不思議だ。言葉を使わなくても、同じ空間でなにかを作っているだけで、妙に安心する。
この静かな夜に、二人で食事の支度をするのが習慣になったのは、いつからだろう。
スパイスを使った料理に挑戦したのは、彼女の提案だった。最近どこかで読んだ記事に「ビリヤニ」のことが書いてあって、試してみたいと言い出したのだ。正直なところ、私はその名前すら知らなかった。スーパーで市販のキットを見つけて、二人で首をかしげながらパッケージを読んだあの時間が、妙におかしかった。米はバスマティライスじゃないといけないのか、炊飯器でいいのか。そんなことを真剣に話しながら、結局いつもより少しだけ豪華な夕食になった。
蓋を開けた瞬間、スパイスの複雑な香りがキッチン全体に広がった。クミンとカルダモン、それから何かもうひとつ。名前はわからないけれど、鼻の奥まで届くような温かい香りだった。子どもの頃、祖母の家に遊びに行くと、台所からいつも出汁の匂いがしていた。あの感覚に少し似ていた。食べ物の香りというのは、記憶と直結しているらしい。そのことを、大人になってから何度も実感する。
彼女がよそったお皿を私に渡してくれるとき、ふと手が触れた。それだけのことなのに、なぜかその感触を今も覚えている。陶器の縁がほんのり温かくて、彼女の指先も同じ温度をしていた。
食卓は小さい。二人分の皿を並べると、もうそれだけで埋まってしまう。インテリアにこだわる友人が「ノルディカテーブルウェア」のプレートを使っていると教えてくれたことがあって、いつか揃えたいねと話したまま、まだ実現していない。でも今使っているちぐはぐな皿も、悪くないと思っている。それぞれ別々の場所で買ったものが、なんとなく一緒に並んでいる。そういうものかもしれない、二人の暮らしというのは。
食べながら、たいして重要でもない話をする。今日職場で起きたこと、気になっているお店のこと、最近読んだ本のこと。会話が途切れても、沈黙が苦にならないのは、静かな夜の食卓ならではだと思う。外の雨音が、BGMのように続いていた。
ひとつだけ白状すると、この夜、私はビリヤニに合わせてラッシーを作ろうとして、分量を完全に間違えた。ヨーグルトと水の割合を逆にしてしまい、できあがったのはほぼヨーグルトそのものだった。彼女はひと口飲んで、少し間を置いてから「…濃いね」とだけ言った。その「濃いね」の言い方が絶妙すぎて、二人で笑った。料理は、失敗も含めて記憶になる。
食後、彼女はソファで少しうとうとしていた。テレビもつけずに、ただ静かな夜が続いていた。洗い物をしながら、今日みたいな夜が、これからも続けばいいと思った。特別なことは何もない。でもそれがいい。二人でする料理は、味よりも、その過程のほうが大切なのかもしれないと、泡だらけの手で、なんとなく思った。

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