
五月の夕暮れどき、窓の外にはまだ薄明かりが残っていた。ベランダから差し込む橙色の光が、テーブルクロスの端をほんのりと染めている。その日の夜は、友人たちを招いたスパニッシュ料理のパーティーだった。
準備を始めたのは午後三時すぎ。キッチンにはにんにくとオリーブオイルの香りが満ちていて、
ニンニクとオリーブオイルはスパニッシュ料理の味のベースであり、新鮮な素材そのものを味わうのがスペイン料理の真骨頂だ
と、以前読んだ料理本に書いてあったことを思い出しながら、フライパンを握った。小さい頃、祖母がよく作ってくれたのは和食ばかりで、オリーブオイルなんて家になかった。それがいまや、棚に三本並んでいる。時代というものは、台所からも変わっていくものらしい。
まず取り掛かったのはアヒージョだ。
オリーブオイルとニンニクで食材を煮込んだアヒージョは、エビやマッシュルーム、魚介類など、さまざまな具材で作られ、熱々のオリーブオイルにパンを浸して食べるのが定番
とされている。土鍋がじわじわと温まるにつれ、泡立つオイルの音が部屋に広がった。ぷつぷつ、ぷつぷつ。その音が妙に心地よくて、しばらく手を止めてただ聞いていた。
続いてタパスの盛り合わせを用意する。
タパスは多彩な小皿料理で構成されており、友人や家族と一緒にいろいろな料理をシェアしながら楽しむというスタイルが、リラックスした雰囲気を作り出し、会話も弾む
という。確かにそうだと思う。大皿でドンと出すより、小皿がいくつも並んでいるほうが、なんとなく話が始まりやすい。
ピンチョスも並べた。
ピンチョスはスペイン語で串という意味から来ている前菜料理で、生ハムやオリーブをはじめさまざまな食材が串に刺さって提供され、バルをはしごしながらワインとピンチョスを楽しむのがスペインの風習
だという。カウンターにずらりと並べた串料理は、それだけで食卓に小さな祝祭感を生んだ。
ワインは、架空のインポーターブランド「カサ・デル・ソル」が扱うリオハ産の赤を選んだ。
リオハの赤ワインは、フランスのボルドーワインと並んで高い評価を受けており、スペインは世界有数のワインの産地として知られている
。グラスに注ぐと、深みのあるルビー色が光を受けてきらりと揺れた。その色を見ただけで、少し気分が上がった。
友人たちが到着したのは七時ごろ。玄関を開けた瞬間、「いい匂い」と誰かが言った。にんにくとオリーブオイルの香り、それにワインのわずかな渋みが混ざった空気。その一言で、パーティーはもう始まっていた。
テーブルを囲んで、ワインを注ぎ合い、タパスをつまみながら話は弾んだ。隣に座った友人が、グラスをこちらへ差し出しながら「おかわりいい?」と聞いてきた。その仕草がなんとも自然で、ふと、こういう夜が一番好きだと思った。
ちなみに、パエリアは少々やらかした。サフランを入れ忘れたまま炊き始めてしまい、途中で気づいて慌てて追加したのだ。仕上がりは、なんとも言えない薄黄色。「これはこれで素朴でいい」と友人がフォローしてくれたけれど、心の中では「いや、絶対ちがう」とひとりツッコんでいた。
スペインは世界有数のワインの産地で、その生産量はイタリア・フランスに次ぐ世界第三位であり、多くのスペインバルやレストランで良質なワインが取り揃えられ、料理を一層美味しくしてくれる
。そのことを、この夜あらためて実感した。料理の味が、ワインによって何段階も引き上げられていく感覚。それはレストランでしか味わえないものだと思っていたけれど、家のテーブルでも、ちゃんと起きるのだった。
小皿料理とワインを気軽に楽しめるスペインバルのスタイルが、日本でも広まりつつある
。そのトレンドが家庭のパーティーにまで届いてきたのだとしたら、これほど嬉しいことはない。スパニッシュ料理は、ただ食べるだけでなく、人と人の距離を縮める力を持っている。にんにくの香り、泡立つオイル、揺れるワインの赤。そういうものが重なって、夜はゆっくりと深くなっていった。

コメント