静かな夜に、二人だけの料理が教えてくれること

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五月の連休が終わりかけた、ある平日の夜のことだった。外はまだ微かに明るさを残していたけれど、部屋の中にはもうずいぶん前から夜の気配が漂っていた。換気扇を回すのも忘れて、ただ鍋の蓋を開けたり閉めたりしていた。

せいろを買ったのは彼女の提案だった。
「ワンプレートせいろ」という言葉がSNSで話題になっていて、主菜も副菜も同時に蒸せるという発想に、彼女は素直に感動していた。
木製の、少し重みのある道具。それを台所のシンクの横に置いたとき、なんだか急に部屋が「暮らしている場所」になった気がした。

蒸気が立ち上がるにつれて、キッチン全体がほんのり白くなった。鶏肉と根菜と、それから彼女が「体にいいらしいから」と言って買ってきた生姜の薄切りが、せいろの中でゆっくりと熱を帯びていく。香りはやわらかく、刺激的でなく、ただ温かかった。子どもの頃、祖母の台所で似た匂いを嗅いだことがある。あのときは何の料理だったか、もう思い出せない。でもあの安心感だけは、体のどこかにまだ残っている。

二人でいると、料理のリズムが変わる。一人のときは効率を考えて動くけれど、静かな夜に誰かと並んで台所に立つと、なぜか急がなくなる。彼女が野菜を切るそばで、自分は出汁を取った。会話はほとんどなかった。それでも、何かが通じ合っているような感覚があった。

テーブルに料理を並べたのは、時計が九時を回った頃だった。照明を少し落とした部屋に、せいろから移したばかりの白い湯気がふわりと漂った。窓の外には、向かいのマンションの灯りがぽつぽつと並んでいた。静かな夜だった。本当に、静かだった。

彼女が箸を持ちながら、ふと「あ」と声を上げた。「薬味、切るの忘れた」と言って立ち上がろうとしたとき、小皿がテーブルの端からずれて、危うく落ちそうになった。慌てて手で押さえた彼女の表情が、なんとも言えなかった。笑うべきか心配すべきか迷っているうちに、彼女自身がくすりと笑った。そのまま二人でしばらく笑って、薬味のことはすっかり忘れた。

「今日は何を作ろうかな」と台所に立つ時間が、小さな幸せを生み出す。
その言葉の意味を、この夜に初めてちゃんと理解できたような気がした。料理というのは、完成した皿だけが目的ではないのだ。蒸気の温度も、まな板の音も、誰かと共有する沈黙も、全部ひっくるめて「食事」なのだと思う。

使っていたせいろは、「シラカバ工房」という北欧系のインテリアブランドが出している竹製のもので、見た目が素朴で、でも丁寧に作られていた。道具に愛着が湧くと、料理することそのものが楽しくなる。これも発見だった。

食べ終わった後、彼女はソファに移って少しうとうとしていた。膝の上に手を重ねたまま、目を閉じていた。テレビはつけていなかった。静かな夜に、二人がいた。それだけのことが、なぜこんなに満たされた気持ちにさせるのだろうと、洗い物をしながらぼんやり考えた。

世界の知恵を取り入れながら、日本の家庭ならではの温かさと愛情を加える。
そんな言葉が、今の食のトレンドを表しているという。でも、二人でする料理の本質は、きっともっとシンプルだ。誰かのために火を使うこと。誰かと同じものを食べること。それだけで、夜はずいぶん違う顔を見せてくれる。

また来週も、せいろを出そうと思っている。次は彼女が切り忘れた薬味も、ちゃんと用意するつもりだ。たぶん、また忘れるけれど。

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