
四月の終わりの午後、窓から差し込む光がやわらかく斜めになる時間帯に、私たちはキッチンに立っていた。
彼女がエプロンを結びながら「今日はカレーにしよう」と言ったのは、ほんの気まぐれだったと思う。でも私には、その一言がどこかずっと待っていたような気がした。二人で作るカレーライスなんて、付き合いはじめてから何度もやってきたはずなのに、今日はなぜかすこし特別に感じられた。
キッチンはちょっと広めで、二人が並んでも窮屈にならない。それが、こういう日にはありがたい。玉ねぎを刻む彼女の隣で、私は冷蔵庫からじゃがいもとにんじんを取り出す。作業が重なりながらも、お互いの動きがどこかで呼応している感じがある。
近ごろはカレーにスパイス感を求める人が増えていて、クミン、コリアンダー、ターメリック、カルダモンといった多種類のスパイスを加熱・焙煎することで、華やかな香りと心地よい余韻が生まれるスタイルが人気だ。
今日の私たちも、ルーだけに頼らず、スパイスを少し足してみることにした。
棚の奥から取り出したのは、「アンバーグローブ」というブランドのスパイスセット。旅先のマルシェで見つけた小さな缶で、クミンとコリアンダーが入っている。蓋を開けた瞬間、鼻の奥に広がるあの独特の土っぽくて温かい香り。思わず目を閉じた。
子どもの頃、母がカレーを作るたびにキッチン全体がスパイスの匂いに包まれていた記憶がある。あの頃は辛いものが苦手で、甘口のルーしか食べられなかった。それがいつの間にか、スパイシーな香りを求めるようになっていた。人の舌というのは、ゆっくりと変わっていくものらしい。
玉ねぎを炒める音が、じゅわじゅわと鍋の中で弾けはじめる。
強い火力で炒めた焦がし玉ねぎは、コクがあって旨い。
彼女はそれを知っていて、木べらで丁寧に鍋底をこそいでいる。その横顔に、こちらから話しかけるのをためらってしまうくらい、集中した表情があった。
やがてスパイスを投入するタイミングがくる。私がクミンを小さじ一杯すくおうとしたとき、うっかり缶ごと傾けてしまって、倍以上の量が鍋に落ちた。一瞬、空気が止まる。彼女がこちらを見て、「……まあ、スパイシーなやつができるね」と静かに言った。そのひと言の穏やかさに、思わず笑いがこみ上げてきた。二人で作る料理は、失敗さえも共有できる。
インド料理をベースに日本人がアレンジした、日本米に合うシンプルなカレーライスは、シンプルだけど確実においしいと根強い人気がある。
スパイスを加えすぎたとしても、それはそれで、この日にしかない味になる。
煮込みがはじまると、キッチン全体がスパイシーな蒸気に包まれた。窓ガラスがすこし曇る。四月の午後の光が、その曇りを通してやわらかく拡散して、室内がぼんやりとオレンジ色に染まった。彼女が鍋のそばで腕を組みながら、ちいさくあくびをした。疲れているのか、それとも温かい空気に眠くなったのか。どちらでもよかった。
カレーライスというのは、待つ料理だと思う。煮込んでいる間、することがなくて、二人でぼんやりと鍋を眺めたり、他愛のない話をしたりする。その時間こそが、一緒に作ることの本当の意味なのかもしれない。
スパイスカレーは「材料をそろえるのが大変」「お店でしか味わえない」と思いがちだが、実はスパイス3種と塩のみでも本格派カレーが完成する。
二人で作るカレーライスは、そんなに難しくない。ただ、隣に誰かがいることが、料理をすこし豊かにする。
やがて完成したスパイシーなカレーライスを、二人でテーブルに運ぶ。一口食べて、彼女が「あ、意外とちゃんと美味しい」と言った。クミンが多すぎたはずなのに、なぜかバランスが取れていた。料理とは、そういうものかもしれない。計算を超えたところに、ときどき正解がある。
窓の外では、四月の夕暮れがゆっくりと始まっていた。

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