笑い声が絶えないあの夜の料理——家族と友達が囲んだイタリアンの食卓

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十一月の終わり、窓の外がすっかり暗くなるころ、リビングにはもうすでに六人分の笑い声が満ちていた。誰かがコートを脱ぎながら「寒い寒い」と連呼して、それでも頬が赤くなっているのが嬉しそうで、玄関先から賑やかさが始まっていた。

友達が集まる夜というのは、不思議と準備の段階からすでに楽しい。午後三時ごろからキッチンに立って、トマトソースをことこと煮込んでいると、玉ねぎと完熟トマトの甘い香りが部屋全体にじわじわと広がっていく。その匂いを嗅ぐたびに、子どもの頃に母がミートソースを作ってくれた日曜日のことを思い出す。あのころはパスタが食卓に出るだけで、なんだかちょっと特別な日みたいに感じていた。料理って、そういう記憶と一緒に積み重なっていくものだと思う。

今夜のメインはイタリアンにしようと決めたのは一週間前のことで、友人の彩乃が「絶対にカルボナーラが食べたい」と言い張ったのがきっかけだった。彩乃はいつもそうやって、さらっと希望を言う。それが押しつけがましくなくて、むしろ「じゃあ作るか」という気持ちにさせてくれる。生クリームと卵黄をベースにしたカルボナーラ、それからバジルたっぷりのブルスケッタ、仕上げにはティラミスまで用意した。

テーブルの上には、地元の雑貨屋「ソレイユ・ラ・テーブル」で買ったリネンのクロスを敷いて、白いキャンドルを二本立てた。炎がゆらゆらと揺れるたびに、テーブルを囲む顔がやわらかく照らされる。光の加減というのは、場の空気をそのまま変えてしまう。

料理が並び始めると、みんなの会話が自然と食べ物の話になっていった。誰かが「このブルスケッタ、バジルの香りがすごい」と言えば、別の誰かが「トマトの酸味がちょうどいい」と続ける。カルボナーラを取り分けるとき、彩乃が「多めでいい?」と聞きながらすでにたっぷり盛ってしまっていて、それに気づかず「うん」と答えた瞬間、どちらもちょっと笑ってしまった。あの間が、なんとも言えずよかった。

家族と友達が一緒に食卓を囲む時間は、どこか違う種類の温かさがある。家族だけだと言わなくてもわかることが多いぶん、友達が加わると言葉が増える。料理の話、旅の話、最近あった小さな出来事。それが重なって、夜がどんどん深くなっていく。

食後、ティラミスを出すと「え、これも作ったの」と誰かが目を丸くした。マスカルポーネとエスプレッソをしみ込ませたスポンジ、ほろ苦いコーヒーの香りがふわっと鼻をくすぐる。スプーンを入れるとふんわりと沈む感触があって、口に運ぶとやさしい甘さが広がった。イタリアンの締めくくりとして、これ以上ないくらい正解だったと思う。

深夜近くになって、ようやく解散の気配が漂い始めた。コートを羽織りながら「また来月もやろう」という声が上がって、誰もが頷いていた。本当にやるかどうかはわからないけれど、そう言い合える関係というのが、たぶん大切なのだ。

料理は、人を呼び寄せる力を持っている。イタリアンの香りと、揺れるキャンドルの光と、笑い声が重なった夜は、しばらく忘れないと思う。

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