
キッチンに立つと、いつも思い出す。
あれは確か11月の終わりごろだったと思う。僕の部屋より少し広めのキッチンで、彼女が「今日はスパイスから作ろう」って言い出したんだよね。正直、レトルトでよくない?って思ったけど、彼女の目がキラキラしてたから断れなかった。料理好きな人ってああいう顔するよね。
クミンとコリアンダー、ターメリックにガラムマサラ。テーブルの上に並んだ小瓶を見ながら、僕は内心「絶対失敗するやつだ」って思ってた。案の定、クミンシードを炒め始めた瞬間、キッチン中にすごい匂いが充満して。あの、なんていうか、エスニック料理屋の厨房に迷い込んだみたいな。窓を開けたら冬の冷たい空気が入ってきて、コンロの熱気と混ざって変な感じになった。
彼女は慣れた手つきで玉ねぎを刻んでる。僕はじゃがいもの皮むき担当。この役割分担、なんか自然に決まったんだけど、要するに僕が信用されてないってことだよね。まあ、前に人参を乱切りにしたつもりが全部サイズ違いになった前科があるから仕方ない。
そういえば大学時代、友達とシェアハウスしてたときのこと思い出した。あいつら全員料理できなくて、毎日コンビニ弁当か吉野家。たまに誰かが作ろうとすると必ず焦がすっていう。一回、夜中の2時に火災報知器鳴らしたことあったな。あれ、近所の人にめちゃくちゃ怒られたっけ…。
話を戻そう。
彼女が「はい、玉ねぎ炒めて」って鍋を渡してくる。飴色になるまで炒めるらしいんだけど、これが想像以上に時間かかる。レシピには「中火で15分」って書いてあったけど、30分経っても全然飴色にならない。彼女は「火が弱いんじゃない?」とか言いながら、トマト缶開けたり、鶏肉切ったりしてる。なんか、僕だけ延々と玉ねぎと向き合ってる気がする。木べらで混ぜながら、これって修行なのかなって本気で考えた。
ようやく玉ねぎがいい色になってきたころ、事件は起きた。
彼女がスパイスの袋を開けようとしたら、袋の端が裂けて中身が飛び散ったんだよ。コリアンダーパウダーだったかな。キッチンの床、コンロ周り、彼女の服、僕のTシャツ、全部が茶色い粉まみれ。一瞬、時が止まった。彼女と目が合って、二人とも笑い出しちゃって。なんか、こういうのって後から思い出すといいよね。その時は「最悪だ」って思うんだけど。
掃除してる間も、カレーの匂いはずっとしてた。トマトとスパイスが混ざった、あの独特な香り。僕が床を拭いてる間、彼女は鍋にスパイスを投入してて、ジュワーって音と一緒にさらに強い香りが立ち上る。この匂い、服に染み付いたら明日の仕事で絶対「昨日カレー食べたでしょ」って言われるやつだ。
鶏肉とじゃがいも、にんじんを入れて煮込み始める。ここからが長い。彼女は「30分くらい煮込もう」って言ってるけど、その間ずっとキッチンにいるのもなんか変だから、リビングでテレビ見たりしてた。でも10分おきくらいに様子を見に行く。なんだろう、あの、鍋が気になる感じ。
蓋を開けるたびに湯気が上がって、メガネが曇る。最初は水っぽかったカレーが、だんだんとろみを帯びてくる過程を見るのって、なんか面白い。彼女が味見して「もうちょっと塩」とか「ガラムマサラ足そう」とか言いながら調整してる姿を横目で見ながら、僕はご飯を炊く係。これなら失敗しないからね。
完成したカレーは、正直、見た目は普通だった。でも食べてみたら、レトルトとは全然違う。スパイスの粒々した食感とか、トマトの酸味とか、玉ねぎの甘みとか、全部がちゃんと主張してくる。辛さも、ただ辛いんじゃなくて、後から じわじわくる感じ。「うまいじゃん」って言ったら、彼女が「でしょ?」って得意げに笑った。
皿洗いしながら、まだキッチンにスパイスの匂いが残ってるのに気づいた。明日の朝もこの匂い、してるんだろうな。
結局、あの日作ったカレーは二日分くらいあって、翌日の夜も食べた。二日目の方が味が馴染んでうまかったかもしれない。でも、作ってる最中のあのバタバタした感じとか、スパイス事件とか、そういうのも含めて、なんか良かったんだと思う。
次はもっと簡単なやつにしようって、二人で話してたけど。

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