友人たちとワイワイガヤガヤ囲む、ちょっと辛い韓国料理の夜が忘れられない

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五月の夕暮れが、窓の外でゆっくりと橙色に溶けていくころ、リビングにはもう全員が揃っていた。テーブルの上には、コチュジャンの赤、ごま油の艶、刻みネギの緑。まだ火も入れていないのに、部屋の空気がすでに韓国料理の香りで満ちていた。

思えば、韓国料理を囲む集まりが定番になったのは、ここ一、二年のことだ。
K-POPや韓国ドラマの人気に支えられ、韓国料理は一時的なブームを超えて日本の食文化に深く浸透している。
気づけば友人グループの「次、何食べる?」という会話の答えは、いつも韓国料理になっていた。

この日の主役は、タッカルビとサムギョプサル、そしてカルグクスだった。
昨今の韓国でもカルグクスはトレンドの料理として注目されていて、現代的な専門店が増え、麺にこだわったり、従来にない具を開拓したりと、洗練と再解釈が急ピッチで進められている。
それを知ったみほが「じゃあ手打ち麺、作ってみようよ」と言い出したのが、そもそもの始まりだった。

ホットプレートに豚バラを並べ始めると、脂がじわりと溶け出す音が鳴り始めた。ジュウ、という低くて重い音。その瞬間、誰かが「あ、来た来た」と笑った。肉の焼ける匂いが鼻をくすぐり、部屋の温度がわずかに上がる。窓ガラスがうっすら曇るほどの熱気の中で、ビールの缶を開ける音がパシュ、と響いた。

ちょっと辛いタッカルビのタレが絡んだ鶏肉を、レタスに包んで口へ運ぶ。辛さはじわじわと後からやってくる種類のもので、舌の奥がほんのり痺れる感覚が、なぜか心地よかった。子どものころ、辛いものが苦手で、母が作るキムチ鍋をいつも避けていたことを思い出す。あのころは、辛さの向こう側にあるうまみに気づいていなかった。

ワイワイガヤガヤと声が重なる中、みほが「これ、ちょっと辛すぎない?」と言いながら、自分で追いコチュジャンをかけていた。全員が一斉にツッコんだのは言うまでもない。

カルグクスは、みほが粉から打った。打ち粉をはたきながら、麺を伸ばすその手つきは思いのほか様になっていたけれど、鍋に入れた瞬間に麺が一部くっついてしまい、「あ、やばい」と小さく声を漏らしていた。それでも、アサリと昆布で取った出汁のスープはしみじみとおいしくて、くっついた麺ごとすすり込んだ。

韓国料理の味の基本は「辛味」「甘味」「酸味」「塩味」「旨味」のバランスで、日常的な食卓では、ご飯とスープ、多彩なおかずが並び、家族や友人と分かち合うスタイルが一般的だ。
この「分かち合うスタイル」というのが、韓国料理を囲む夜の本質だと思う。大皿を中心に置いて、各自が好き勝手につまむ。誰かの箸とぶつかって、「あ、ごめん」と笑い合う。そういう距離感が、この料理には最初から組み込まれている。

食後、テーブルにはキンパの残りと、使いかけのごま油のボトルが転がっていた。架空のインテリアブランド「SOBAN LIVING」のカッティングボードの上に、誰かが置き忘れたキムチの小皿がある。部屋の照明が少し落とされて、会話はだんだんゆっくりになっていった。

2025年の日本人渡韓者数は11月までの統計で約335万人と過去最高に迫る勢いを見せ、そのうち30歳以下が4割以上を占め、若年層を中心に韓国人気は依然として高い。
そんな数字を見るまでもなく、この食卓がその縮図だとわかる。みんながそれぞれ好きなドラマや推しのアイドルを語りながら、韓国料理を食べている。それはもう、特別なことでも何でもなくなっていた。

窓の外は、すっかり夜になっていた。遠くで電車の音がした。誰かがゆっくりとお茶を淹れて、湯気がふわりと立ち上がる。その白い煙が、照明の光に溶けていくのを、なんとなく目で追っていた。

韓国料理の夜は、いつもこうして終わる。おなかいっぱい、少し汗ばんで、なんだか笑い疲れて。それでも「次はチーズタッカルビにしよう」という声が上がって、また次の約束が生まれる。この繰り返しが、悪くない。むしろ、とても好きだと思っている。

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