
十一月の終わり、窓の外では落ち葉が街灯に照らされて舞っていた。その夜、友人たちを招いたスパニッシュ料理のパーティーは、午後六時を少し過ぎたころに静かに始まった。テーブルの上には深紅のクロスが敷かれ、キャンドルの炎がゆらゆらと揺れている。空気はほんのり温かく、オリーブオイルとニンニクが混ざり合った香りがキッチンから漂ってきた。
スペイン料理というのは、不思議なほど人を解放する。タパスをつまみながら会話が弾み、気づけば誰もが少し声が大きくなっている。この日のために用意したのは、パタタス・ブラバス、イカのアヒージョ、そして自家製チョリソーを使ったピンチョス。どれも手をかけた料理だったが、なかでも一番気を遣ったのはパエリャだった。サフランを惜しみなく使い、米に魚介の旨みをじっくりと吸わせる。炊き上がった瞬間の、あの底に薄く焦げついた「ソカラ」の香ばしさは、何度作っても胸が高鳴る。
ワインはバレンシア地方産の赤を中心に選んだ。「ヴィニャ・ロハス」という架空のラベルを持つそのボトルは、実は近所のワインショップで店主に半ば押しつけられるように勧められたものだ。「これ、絶対合いますよ」という言葉を信じて買ったのだが、開けてみると確かに正解だった。スパイシーなチョリソーとの相性が抜群で、ひと口飲むたびに会話が一瞬止まるほどの余韻があった。
友人のひとり、料理好きで知られる彼女が、グラスを受け取りながらふと目を細めた。その仕草がなんとも自然で、まるで長年の習慣のように見えた。ワインの色を光にかざして確かめるように、少しだけ首を傾ける。そういう些細な動作が、食卓をより豊かにする気がする。言葉にしなくても、「おいしい」が伝わる瞬間というのは、料理をつくる側にとって最大の報酬だ。
子どものころ、母がよく日曜日の昼に「なんちゃってスペイン風」と称してパプリカと鶏肉を炒めた料理を作ってくれた。本場とはかけ離れていたと思うが、あの赤と黄色のパプリカが皿に並ぶ光景は今でも鮮明に残っている。スパニッシュ料理に惹かれるのは、もしかしたらあの記憶のせいかもしれない。色鮮やかで、香りが強くて、食卓が一気に賑やかになる感じ。あの頃と本質は変わっていない。
パーティーが進むにつれ、テーブルの上は少しずつ賑やかな混沌へと変わっていった。誰かのグラスが倒れかけ、誰かが笑い、誰かが立ち上がって次のボトルを取りに行く。そのとき私は、パエリャの取り分けに夢中になりすぎて、自分のグラスにワインを注ぐのをすっかり忘れていた。気づいたのは全員に行き渡ったあとで、自分だけ白湯を飲んでいるという何とも締まらない状況だった。まあ、ホストとはそういうものかもしれないが。
夜が深まるにつれ、会話のトーンがゆっくりと落ち着いていく。キャンドルの炎も少し小さくなり、誰かがうとうとしながらもグラスを手放さずにいた。外の風の音が窓越しに聞こえ、室内の温かさがよりくっきりと感じられる。料理の皿はほとんど空になっていて、それだけで十分だと思った。
スパニッシュ料理とワインを囲むパーティーは、単なる食事の場ではない。人が集まり、時間を忘れ、言葉と笑いと沈黙が自然に混ざり合う場所だ。料理はその空間を作るための道具であり、ワインはその空間を深めるための触媒だと思う。次はもう少し暖かい季節に、テラスでやってみたい。そう思いながら、最後の一杯をゆっくりと飲み干した。


コメント