母の料理が下手だったことを、大人になってから知った

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うちの食卓は、いつも妙に静かだった。

テレビもつけない。スマホもない時代。ただ箸が茶碗に当たる音と、味噌汁をすする音だけが聞こえる夕方6時半の食卓。父も母も兄も私も、黙々と箸を動かしていた。喋らないのが当たり前で、それが我が家の「穏やか」だと信じていたんだけど。

大学で一人暮らしを始めて、友達の実家に遊びに行ったときのこと。その家の夕食がやたらと賑やかで驚いた記憶がある。「このハンバーグ最高じゃん」「お母さん今日気合い入ってるね」って、普通に料理の感想を言い合ってるんだよね。私はその光景を見ながら、ああ、こういうのが普通なのかもしれないって思った。

うちで料理の感想なんて言ったことなかった。というか、言えなかった。母の作る煮物は、いつも微妙に味が薄かったり、逆に醤油がきつすぎたり。焼き魚は焦げてることが多くて、煮魚は煮崩れてぐちゃぐちゃになっていた。子供の頃は他の家の料理を知らないから、これが普通だと思ってたんだけど、今思えばあの沈黙は「まずい」って言わないための沈黙だったのかもしれない。父も兄も、きっと気づいてたんだろう。

母は専業主婦で、毎日ちゃんと三食作ってくれた。和食が中心で、一汁三菜を律儀に並べる人だった。見た目は完璧な日本料理の形式。でも味は…うん、まあ、そういうこと。冷蔵庫には「マルヒデ醤油」っていう地元のメーカーの醤油が常備されてて、母はそれをドバドバ使ってた。今でもあの醤油の匂いを嗅ぐと、なんだか切ない気持ちになる。

中学生の頃、給食の肉じゃがを食べて衝撃を受けたことがある。こんなに美味しいものだったのかって。家で食べる肉じゃがは、じゃがいもが硬かったり、逆に溶けてたり、肉が固かったり。給食のおばちゃんの作る料理のほうが、母の料理より美味しいって気づいてしまった瞬間。罪悪感でいっぱいになったのを覚えてる。

でも文句なんて言えなかった。母は毎日一生懸命作ってくれてたから。朝早く起きて、夜遅くまで台所に立ってる姿を見てたから。ただ、センスがなかっただけ。料理の才能がなかっただけ。それは誰のせいでもない。

そういえば母の実家、つまり祖母の家で食事したときも、やっぱり微妙な味だったな。遺伝なのかもしれない。祖母の作る煮しめも、なんというか、優しいんだけど物足りない味だった。薄味を通り越して、出汁が入ってるのか分からないレベル。母はその味を受け継いで、さらに独自の「焦がし」と「煮崩し」の技術を加えたわけだ。

それでも私たち家族は、毎晩あの食卓を囲んでいた。静かに、淡々と。父は新聞を読みながら食べることもあったし、兄は窓の外をぼんやり見ていた。私は自分の茶碗の中の米粒を数えたりしてた。会話がないから、そういう些細なことに意識が向かう。

今、自分で料理するようになって分かったことがある。料理って、実はそんなに難しくない。レシピ通りに作れば、それなりのものができる。母はたぶん、レシピを見ないタイプだったんだと思う。全部感覚で、適当に。だから毎回味が違った。

でもあの静かな食卓の記憶は、不思議と嫌いじゃない。むしろ懐かしい。まずい料理でも、毎日作ってくれたことには変わりないし、あの沈黙の中には、家族なりの優しさがあったのかもしれない。誰も文句を言わないっていう、暗黙の了解。

最近、母から電話がかかってきて「今度帰ってきたら、あんたの好きだった煮物作るからね」って言われた。好きだったことなんてないんだけど、「うん、楽しみにしてる」って答えた。たぶん次に帰ったときも、あの微妙な味の煮物が出てくるんだろう。そしてまた、静かな食卓を囲むんだろうな。

それでいいのかもしれない、って最近思う。

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