
静かな夜に二人で料理を作ると決めたとき、なぜか妙に緊張した。
普段から自炊はしているし、料理が特別苦手なわけじゃない。でも相手が目の前にいて、しかもこれから一緒に食べるとなると、なんだか勝手が違う。冷蔵庫を開けて何を作ろうか考えながら、やたらと食材の賞味期限を確認してしまう自分がいた。ピーマンの袋を二度見して、結局使わなかったり。
キッチンに二人で立つと、動線がぶつかる。調味料を取ろうとして手が重なったり、包丁を置く場所で一瞬迷ったり。普段ひとりで料理しているときには絶対に起きないことが次々に起きて、それがなんだか可笑しくて、でも少し照れくさい。
そういえば昔、友達が「彼氏の家で初めて料理したとき、塩と砂糖を間違えた」って話をしていたのを思い出した。当時は「ありえないでしょ」って笑ってたけど、今ならわかる気がする。緊張すると人は信じられないミスをする。私も一度、醤油を入れるつもりでみりんのボトルを手に取って、注ぎ口を鍋の上で構えたまま「あれ?」ってなったことがある。
窓の外は完全に暗くなっていて、街灯の光だけがカーテン越しに滲んでいた。時計を見ると夜の8時を少し過ぎたあたり。こんな時間に料理を始めるのも、休日の夜だからできることだ。フライパンが温まる音、水が沸く音、まな板に包丁が当たる音。普段なら気にも留めない音が、この静けさの中ではやけにはっきり聞こえる。
料理って不思議なもので、作っている最中はほとんど会話がなくても気まずくならない。むしろ黙々と手を動かしている時間が心地いい。たまに「これ切っておいて」とか「火加減見ててくれる?」とか、必要最低限の言葉を交わすだけ。それでも一緒に何かをしている感じがちゃんとある。
完成した料理をテーブルに並べて、向かい合って座る。
照明を少し落としたダイニングで、湯気の立つ皿を前にすると、なんだか特別な時間みたいに思えてくる。別に高級な食材を使ったわけでもないし、レストランみたいに凝った盛り付けをしたわけでもない。ただの野菜炒めと味噌汁と、冷蔵庫にあった豆腐を使った小鉢がひとつ。でもこの瞬間が、外で食べるどんな食事よりも特別に感じられるのは、きっと一緒に作ったからだと思う。
箸を手に取って「いただきます」と言う。その声も、いつもより少し小さい。静かな夜だから、というのもあるけれど、なんとなくそういう気分になる。最初の一口を口に入れたとき、相手がどんな反応をするかつい見てしまって、目が合って、お互いに少し笑う。
味は……まあ、普通だった。特別美味しいわけでもなく、失敗したわけでもなく。でもそれでいいんだと思う。二人で作った料理に求めているのは、完璧な味付けじゃなくて、この時間そのものだから。
食べ終わった後の皿を片付けながら、「次は何作ろうか」なんて話をする。次がある前提で話せるのが、なんだか嬉しい。シンクに水を流す音が、静かな部屋に響いている。
結局のところ、カップルが静かな夜にする食事って、料理そのものよりも、その前後の時間に意味があるんだろうなと思う。一緒に献立を考えて、材料を確認して、手を動かして、出来上がったものを分け合う。その一連の流れ全部が、何かを共有している実感になる。
ただ、洗い物は相変わらず面倒だけど。

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