
実家の食卓は、いつも妙に静かだった。
カチャカチャとお箸が茶碗に当たる音だけが響いて、誰も何も喋らない。テレビもつけない。父は黙々と白米を口に運び、姉は味噌汁を啜り、私は煮物をつついている。別に仲が悪いわけじゃない。ただ、食事の時間はそういうものだと思っていた。他の家庭がどうなのか知らなかったし、比べようもなかった。母が作る料理は、正直言ってあまり美味しくなかった。肉じゃがは味が薄くて、生姜焼きは妙に甘くて、サラダのドレッシングはいつも同じ市販の胡麻味。でも、誰もそれを口にしなかった。
子どもの頃、友達の家に遊びに行って夕飯をご馳走になったことがある。その家のお母さんが作ったハンバーグが、びっくりするくらい美味しくて。ソースが手作りで、中にチーズが入っていて、付け合わせのニンジンのグラッセまで丁寧に作られていた。「美味しい!」って友達が言うと、「ありがとう、おかわりある?」ってお母さんが笑って。その光景が、なんだか眩しかった。
うちに帰って母の料理を食べると、やっぱり物足りない感じがした。でも「美味しくない」なんて言えるはずもなくて、黙って食べた…だけど。
母は料理が得意じゃなかったんだと思う。祖母が早くに亡くなって、誰にも教わらずに結婚したらしい。クックパッドもない時代、料理本を見ながら見よう見まねで作っていたんだろう。それでも毎日、朝昼晩と欠かさず食卓に何かを並べていた。父は文句を言わなかった。というより、何も言わなかった。姉も私も、それが普通だと思って育った。
大学で一人暮らしを始めて、初めて自分で料理を作るようになった。レシピ通りに作っても、なぜか母の味に似てしまう。醤油を入れすぎたり、火加減を間違えたり。友達を呼んで鍋をしたとき、「なんか味薄くない?」って言われて、慌てて追い出汁を入れた。ああ、私も母と同じなんだって、その時初めて気づいた。
そういえば高校生の頃、家庭科の調理実習で作った肉じゃがを母に食べさせたことがある。「学校で習った通りに作ったんだよ」って得意げに言ったら、母は「へえ、美味しいね」って、いつもと変わらない表情で食べていた。今思えば、あれは私なりの無言の批判だったのかもしれない。母はそれに気づいていたんだろうか。
日本料理って、引き算の美学とか言うじゃないですか。素材の味を活かすとか、余計なものは入れないとか。でも母の料理は、引き算しすぎていた気がする。味付けも、手間も、何もかも。それでも毎日作り続けるって、考えてみればすごいことだ。私なんて三日続けて自炊するだけで疲れてコンビニ弁当に逃げるのに。
最近、実家に帰ると、相変わらず静かな食卓がある。父は定年退職して、姉は結婚して家を出た。母と二人で食べることが多くなったらしい。母の料理は、昔とほとんど変わっていない。肉じゃがは相変わらず味が薄いし、生姜焼きは妙に甘い。でも、その味を「懐かしい」と思っている自分がいる。
穏やかって、こういうことなのかもしれない。美味しいとか美味しくないとか、そういう評価の外側にある何か。カチャカチャという箸の音と、湯気の向こうに見える母の横顔と、窓から差し込む夕方の光。何も言わなくても、そこにいるだけで成立している時間。
友達が「実家のご飯が一番美味しい」って言うのを聞くたび、正直ちょっと羨ましかった。でも今は、あの静かな食卓が、私の「実家の味」なんだと思えるようになった。
この前、母に「料理教室とか行ってみたら?」って冗談半分で言ったら、「今さらねえ」って笑っていた。そうだよね、今さらだよね。私も、もう母の料理が上手くなってほしいとは思っていない。


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