二人で作る料理が、いつもより少しだけ特別だった理由

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窓から斜めに差し込む午後三時の光が、キッチンカウンターの端を照らしていた。ちょうど春先の、まだ少し冷たさの残る空気が部屋に流れ込んでくる時間帯だ。彼女がエプロンの紐を後ろで結びながら、「今日はちゃんとスパイスから作るからね」と宣言したのは、つい十分ほど前のことだった。

カレーライスを二人で作る。それだけのことなのに、なぜか少し緊張している自分がいる。普段は外食か、どちらかが一人で作るかのどちらかだった。けれど今日は違う。彼女が「二人でやろう」と言い出したのだ。理由は特にない。強いて言えば、休日の午後に何もしないのがもったいないと思ったから、という程度のものだろう。

キッチンは少し広めで、二人が並んで立っても窮屈ではない。引っ越してきたときに「ここなら二人で料理できるね」と言っていたのに、実際にそうする機会はほとんどなかった。だから今日は、ある意味で初めての共同作業かもしれない。

彼女が取り出したのは、クミン、コリアンダー、ターメリック、カルダモン。それに加えてガラムマサラの小瓶もある。「スパイシーにするから覚悟してね」と笑いながら、彼女は玉ねぎを刻み始めた。その手つきは思ったより慣れていて、少し意外だった。彼女の料理姿をじっくり見るのは初めてかもしれない。

僕の役割は野菜を切ることだった。じゃがいも、にんじん、それから鶏肉を一口大に切る。包丁を握る手が、なぜか少しぎこちない。普段は自分一人で料理をするときも、こんなに意識することはないのに。隣に誰かがいるというだけで、こんなにも動作が変わるものなのか。

「ねえ、そのじゃがいも、もう少し小さく切ったほうがいいかも」

彼女の声に振り向くと、彼女はまだ玉ねぎを炒めている最中だった。それなのに、僕の手元をちゃんと見ていたらしい。少し恥ずかしくなって、「わかった」とだけ答えた。

フライパンから立ち上る玉ねぎの甘い香りが、部屋全体に広がっていく。それにスパイスの香りが混ざり始めると、空気が一気に変わった。鼻をくすぐるような、少し刺激的で、けれど心地よい香り。クミンの香ばしさと、コリアンダーの爽やかさ。ターメリックの土っぽさと、カルダモンの甘さ。それらが渾然一体となって、キッチンを満たしていく。

彼女が「次、鶏肉入れるね」と言って、僕が切った肉をフライパンに投入した。ジュッという音とともに、さらに香りが強くなる。彼女の横顔を見ると、少し真剣な表情をしていた。料理に集中しているときの彼女は、いつもと少し違う顔をしている。それがなんだか新鮮で、つい見とれてしまった。

「じゃがいもとにんじんも入れて」

言われるままに野菜を渡す。彼女がそれを丁寧にフライパンに加えていく。その仕草がひとつひとつ丁寧で、なんだか見ていて安心する。僕が子どもの頃、母がカレーを作るときも、こんなふうに丁寧に野菜を炒めていたような気がする。あの頃は、カレーといえば市販のルーを使うものだと思っていた。スパイスから作るなんて、考えたこともなかった。

「水入れるから、鍋持ってきて」

彼女の指示に従って、棚から鍋を取り出す。彼女がフライパンの中身を鍋に移し、水を注いだ。ここからは煮込む時間だ。彼女が火加減を調整しながら、「あとは待つだけ」と言った。

二人でカウンターに並んで座る。窓の外では、少し風が出てきたのか、木の枝が揺れていた。彼女がふと、「そういえば」と言って、冷蔵庫からミネラルウォーターを取り出した。ブランド名は「アルティナ」だったか。彼女が最近気に入っている、少し硬度の高い水だ。

グラスに注がれた水を受け取りながら、僕はふと、今日のこの時間がとても貴重なものに思えた。特別なことをしているわけではない。ただカレーを作っているだけだ。けれど、こうして二人で何かを作るという行為そのものが、なんだか特別に感じられる。

煮込んでいる間、彼女は少しうとうとし始めた。午後の光と、キッチンの暖かさと、スパイスの香りが、心地よい眠気を誘うのかもしれない。彼女の頭が少しずつ傾いていくのを見て、僕は思わず笑ってしまった。「寝ないでよ、火使ってるんだから」と声をかけると、彼女は「寝てないよ」と言いながら、また目を閉じかけていた。

それから三十分ほどして、カレーが完成した。彼女が最後にガラムマサラを加えて、軽く混ぜる。鍋の蓋を開けた瞬間、スパイシーな香りが一気に広がった。これは確かに、市販のルーでは出せない香りだ。

ご飯を盛り、カレーをかける。二人で並んでテーブルに座り、スプーンを手に取った。最初の一口を口に運ぶ。スパイスの複雑な味わいが、口の中に広がっていく。辛さの中にも、甘さがあり、酸味があり、旨味がある。それぞれのスパイスが主張しながらも、ひとつにまとまっている。

「おいしい」と僕が言うと、彼女は少し照れたように笑った。「二人で作ったからね」と彼女は言った。その言葉が、なんだかとても嬉しかった。

窓の外では、夕方の光が少しずつ柔らかくなり始めていた。

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