
実家の食卓は、いつも静かだった。
別に険悪だったわけじゃない。ただ黙々と箸を動かして、味噌汁をすすって、ご飯を食べる。テレビもつけない。父が新聞を読みながら食べるのを母が注意して、父が渋々新聞を畳む。その一連の流れだけが毎晩繰り返されていた。友達の家に泊まりに行ったとき、その家族が食事中ずっと喋っていて、正直びっくりした記憶がある。ああ、こういう家もあるんだって。
母の作る料理は、日本料理というか、まあ普通の和食だった。焼き魚、煮物、おひたし。冷蔵庫の残り物で作る卵とじとか、肉じゃがとか。特別美味しいわけでもなく、かといってまずいわけでもなく…いや、今思い返すと結構微妙だったかもしれない。煮物の味付けが毎回ちょっとずつ違ったし、魚は焼きすぎてパサパサになることが多かった。でも子供の頃はそれが普通だと思ってたから、何も言わなかった。父も何も言わなかった。
高校生のとき、家庭科の調理実習で肉じゃがを作ったことがある。班のメンバーが「これ美味しいね」って言ってくれて、レシピ通りに作っただけなのに妙に嬉しかった。そのとき初めて気づいた。ああ、母の肉じゃがって、じゃがいもが煮崩れてドロドロになってたな、って。
穏やかな食卓、っていう言い方があるけど、あれは本当に穏やかだったんだろうか。ただ誰も何も言わなかっただけじゃないのか。父は会社であったことを話さない。私は学校であったことを話さない。母は…何を考えていたんだろう。キッチンから湯気の匂いと醤油の焦げる音がして、「ご飯よ」って呼ばれて、座って、食べて、ごちそうさま。それだけ。
大学で一人暮らしを始めて、自炊するようになった。最初はカップ麺とか冷凍食品ばかりだったけど、だんだん料理を覚えていった。クックパッドとか見ながら。そうしたら分かってきたんだよね、母の料理の「適当さ」が。レシピには「弱火で10分」って書いてあるのに、母は多分そんなの測ってなかった。砂糖と醤油の分量も目分量。だから毎回味が違った。
でもさ、不思議なもので、今自分で和食を作ると、ふとあの味を思い出すことがある。パサパサの焼き鮭とか、煮崩れた肉じゃがとか。そういうのを食べたくなる瞬間がある。コンビニで「おふくろの味」みたいなキャッチコピーのお惣菜を見かけると、ちょっと笑ってしまう。おふくろの味って、本当はそんなに美味しくなかったかもしれないのに。
去年の正月、久しぶりに実家に帰った。母が作った雑煮を食べながら、やっぱり誰も喋らない食卓に座っていた。父はスマホでニュースを見ていて、母に「食事中はやめて」って言われて、渋々ポケットにしまった。新聞がスマホに変わっただけで、構図は昔と同じ。
私は何か話そうとして、でも何を話せばいいか分からなくて、結局黙って雑煮を食べた。餅が柔らかすぎて、箸で持ち上げるとちぎれそうになる。母、餅茹ですぎじゃない?って言いかけて、やめた。
料理が上手い下手って、結局何なんだろうね。レシピ通りに作れることが上手いってことなのか。それとも食べる人を満足させられることなのか。母の料理は多分、どちらでもなかった。ただ毎日作って、毎日食卓に並べて、それを家族が黙って食べる。
今でもたまに、夜中に目が覚めて、あの静かな食卓のことを思い出す。カチャカチャという箸の音だけが響いていた、あの時間。


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