料理が苦手な私が友達のパーティで学んだ、イタリアンと家族の話

Uncategorized

ALT

去年の11月、友達のマンションで開かれたパーティに呼ばれた時のこと。

正直言うと、私は料理が壊滅的に下手だ。だから「一品持ち寄りで」って連絡が来た瞬間、スーパーのお惣菜コーナーに直行する未来しか見えなかった。案の定、当日の午後3時、私は近所のスーパーでポテトサラダのパックを手に取っていた。恥ずかしいけど、これが現実。

でも友達のユウコは違った。彼女の家に着いた瞬間、玄関からニンニクとトマトの香りが漂ってきて、ああ、これは本気のやつだと思った。リビングに入ると、テーブルいっぱいに並んだ料理。ボロネーゼ、カプレーゼ、何種類ものブルスケッタ、手作りのティラミスまで。全部ユウコが朝から仕込んだらしい。「イタリアンって、家族で囲む料理なんだよね」って彼女は笑いながら言った。

その言葉を聞いた時、ふと自分の実家のことを思い出してしまった。

母はいつも忙しくて、夕飯は簡単なものばかりだった。でも週末になると、父と一緒にキッチンに立って、何か特別なものを作ろうとしていた記憶がある。うまくいかないことも多かったけど、あの時間は確かに家族の時間だった。料理って、完成度じゃなくて、作る過程に意味があるのかもしれない。

ユウコの話を聞いていると、彼女の祖母がイタリア系で、小さい頃から一緒にパスタを打っていたらしい。「トマトソースの酸味を飛ばすコツとか、オリーブオイルの温度とか、全部おばあちゃんから教わった」って。そういえば、私の祖母も煮物が得意だったな。でも私は全然興味を持たなくて、今となっては何も聞けない。

パーティには8人くらい集まっていて、みんな持ち寄った料理を並べながら、それぞれの家族の話をし始めた。

ケンタは唐揚げを持ってきていて、「うちの母親のレシピ」って誇らしげに言っていた。アヤカは手作りのキッシュで、「フランス留学中にホストファミリーから教わった」とか。私のポテトサラダは…まあ、話題にもならなかったけど。みんなの料理には物語があって、それを聞いているだけで、その人の背景が見えてくる気がした。イタリアンだろうと和食だろうと、料理には作った人の記憶が染み込んでいる。

ちなみに、そのパーティで私は赤ワインをカーペットにこぼして、ユウコに「ヴィネガーと塩で拭けば大丈夫」って慌てて処置してもらった。料理の知識って、こういう時にも役立つんだなと妙に感心した。

夜が更けて、みんなでティラミスを食べながら、ユウコがふと言った。「料理って、誰かのために作るものだよね」って。その言葉が妙に胸に残った。私はいつも自分のためだけに、適当なものを作って食べている。誰かのために、って考えたことがなかった。

家族のために料理を作るって、きっとそういうことなんだろう。完璧じゃなくてもいい。ただ、誰かを思いながら手を動かす時間。ユウコの祖母が孫に教えたように、ケンタの母親が息子に伝えたように、料理は単なる栄養補給じゃなくて、人と人を繋ぐ何かなんだと思う。

あのパーティから半年が経って、私は相変わらず料理が下手だ。でも最近、週末に実家に帰った時、母と一緒にキッチンに立つようになった。トマトソースを作りながら、ユウコの話を思い出す。ニンニクの香りが部屋に広がる瞬間、あのパーティの夜が蘇る。

料理が上手くなりたいとは、今でもそんなに思わない。ただ、誰かと一緒に作る時間が、少しだけ好きになった…かもしれない。

コメント

タイトルとURLをコピーしました