
友人を招いてのパーティは、いつも準備の段階から始まっている。テーブルクロスを広げ、皿を並べ、グラスを磨く。そうした一連の所作が、まるで舞台の幕開けを待つような高揚感を運んでくる。今回は秋の終わりの土曜日、夕方の五時を少し過ぎたころに集まることになっていた。窓の外はすでに薄暗く、街灯が点り始める時間帯だ。
今回のテーマはイタリアン。といっても本格的なものではなく、家庭で無理なく作れる範囲のものを何品か用意することにした。トマトソースのパスタ、バジルとモッツァレラのカプレーゼ、それからオリーブとアンチョビを効かせたフォカッチャ。デザートには近所のパティスリー「ラ・ルーナ・ドルチェ」で買ったティラミスを冷蔵庫に忍ばせてある。
友人たちは約束の時間にほぼ同時に到着した。玄関のチャイムが鳴り、ドアを開けると、冷たい外気と一緒に笑い声が流れ込んでくる。コートを脱ぎ、リビングに入ってきた彼らは、それぞれワインやチーズ、パンを手に持っていた。誰かが「持ち寄りパーティにしようって言ってなかったよね?」と苦笑いしながら言うと、また笑いが広がった。
キッチンにはすでにトマトとニンニクの香りが漂っている。オリーブオイルで炒めた野菜の甘い匂いに、バジルの爽やかさが重なる。この香りは、どこか子どもの頃に家族で訪れたレストランを思い出させる。あの店の名前はもう覚えていないけれど、赤と白のチェック柄のテーブルクロスと、厨房から聞こえる陽気な声だけは鮮明に残っている。
料理を並べ終えると、テーブルはあっという間に賑やかになった。誰かがワインを注ぎ、誰かがパンをちぎり、誰かが「これ美味しい」と声を上げる。会話は次々に枝分かれし、途中で誰が何を話していたのかわからなくなるほどだ。そんな混沌とした空気が、パーティの醍醐味でもある。
ふと気づくと、友人のひとりがフォークを持ったまま少しうとうとしている。彼女は仕事が忙しかったらしく、少し疲れた顔をしていた。誰かが「寝るなら布団敷くよ」と冗談交じりに声をかけると、彼女はハッとして笑いながら「ごめん、ちょっとだけ意識が飛んでた」と言った。その様子がなんとも微笑ましく、場の空気がさらに柔らかくなった気がした。
イタリアンという括りではあったけれど、途中で誰かが持ってきた韓国海苔が登場し、それをパスタに巻いて食べるという謎のアレンジが始まった。意外にも、これが妙に合う。トマトソースの酸味と海苔の塩気が絶妙に絡み合い、新しい味わいを生んでいた。料理とは、こうして予定外の組み合わせから生まれる発見も楽しいものだ。
家族との食卓とはまた違う、友人たちとのパーティには独特の空気がある。家族との時間には安心感と日常の延長があるけれど、友人との集まりには少しの緊張と、どこか非日常的な高揚感がある。それでいて、気を遣いすぎることもなく、笑い合える関係性がそこにはある。
テーブルの上に並んだ皿は、時間とともに少しずつ空になっていく。誰かがグラスを傾け、誰かがパンの最後のひとかけらを口に運ぶ。会話は途切れることなく続き、時には静かに、時には声を上げて笑いながら、夜は深まっていった。
ふと窓の外を見ると、街の灯りがいつもより温かく感じられた。部屋の中の明るさと外の暗さが対比をなし、ここがひとつの小さな世界であるかのような錯覚を覚える。料理を囲み、声を交わし、笑い合う。そのシンプルな営みが、何よりも豊かな時間を作り出していた。
デザートのティラミスを取り分けるころには、誰もが少し満腹になっていた。それでも、甘いものは別腹だと言わんばかりに、スプーンを手に取る。コーヒーの苦味とマスカルポーネのなめらかさが口の中で溶け合い、会話もまた少しゆっくりとしたテンポに変わっていく。
料理は、ただ空腹を満たすためだけのものではない。それは人を集め、時間を共有し、記憶を刻むための媒介でもある。今日のこの時間も、いつかふとした瞬間に思い出されるのだろう。あの日の料理の味、友人たちの笑顔、部屋に満ちていた温かな空気。そのすべてが、ひとつの物語としてここに残っている。

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