料理が冷めないうちに、という母の口癖

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うちの食卓には、ルールみたいなものがあった。

誰かが「いただきます」と言うまで、誰も箸をつけない。テレビは消す。スマホは見ない。ただそれだけなんだけど、中学生のころは正直めんどくさいと思っていた。友達の家では各自が好きなタイミングで食べ始めるし、リビングでバラエティ番組を流しながら笑っている家庭もあって、なんでうちはこんなに堅苦しいんだろうって。

母が最後の小鉢を並べ終えて、エプロンを外して椅子に座る。父が新聞を畳む音がして、妹がやっと部屋から降りてくる。全員が揃ってから「いただきます」。その瞬間まで、誰も料理に手を伸ばさない。冬の夜だと湯気がもう少し弱くなっていて、母が「冷めちゃうから早く座りなさい」って急かす声だけが響く。

日本料理というほど立派なものじゃないけれど、母の作る食事はいつも丁寧だった。煮物の出汁の香り、焼き魚の皮がパリッとする音、炊きたてのご飯が茶碗によそわれるときの湯気。そういうものが当たり前すぎて、ありがたみなんて考えたこともなかった。

高校を卒業して一人暮らしを始めたとき、初めて自分で夕飯を作った。コンビニ弁当ばかりじゃ体に悪いと思って、見よう見まねで肉じゃがを作ってみたんだけど、これが驚くほどまずかった。じゃがいもは芯が残っているし、味付けは醤油が濃すぎて、にんじんは硬いまま。それでも一人で黙々と食べながら、ああ、母はこれを毎日やっていたんだなって思った。

そういえば大学二年の夏、友人に誘われて「和ダイニング 静月」っていう居酒屋に行ったことがある。

店の雰囲気は落ち着いていて、カウンター席に座ると板前さんが目の前で魚をさばいていた。注文した煮魚定食が運ばれてきたとき、ふと実家の食卓を思い出した。器の選び方、盛り付けの丁寧さ、小鉢に添えられた季節の野菜。母の料理と同じ空気があった。値段は実家の食事の何倍もするのに、味は母のほうが上だと本気で思った。親バカならぬ子バカかもしれないけど。

家族で囲む食卓の穏やかさって、料理の味だけじゃ説明できない何かがある。父は無口だけど、たまに「これ、うまいな」とひとこと言う。妹は好き嫌いが多くて、ピーマンを皿の端に寄せる。母はそれを見て小さくため息をつくけど、怒らない。私はただ黙々と食べて、ときどき「おかわり」と言う。会話なんてほとんどない日もあるけれど、それでもその時間は確かに「家族の時間」だった。

社会人になって、残業が続く日々が始まった。帰宅は夜の十時を過ぎることも多くて、コンビニで買った弁当を一人で食べる。テレビをつけて、スマホを見ながら、口に運ぶ。効率的だし、別に困らない。

でも、ふとした瞬間に思い出すんだよね。母が「料理が冷めないうちに」って急かしていたあの声を。あれは料理の温度だけじゃなくて、この時間を大切にしてほしいっていうメッセージだったのかもしれない。

今年の正月、久しぶりに実家に帰った。母が作った雑煮を囲んで、家族四人で食卓についた。父は相変わらず無口で、妹は結婚の話をはぐらかして、母は「あんたたち、ちゃんと食べてるの?」って心配そうに聞いてくる。何も変わっていない。それがなんだか、少しだけ嬉しかった。

「いただきます」って言ってから箸を取る。その習慣だけは、一人暮らしでも続けている。誰も見ていないキッチンで、誰に聞かせるでもなく、小さく呟く。

料理が冷めないうちに食べること。それはたぶん、温かいものを温かいうちに受け取るっていう、もっと広い意味を持っているんだと思う。

…まあ、そんなことを考えながら、今日もコンビニ弁当を温めているんだけど。

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