
友達のパーティって、準備している時が一番楽しいのかもしれない。
イタリアンを作ろうって決めたのは三週間前で、私は張り切ってレシピサイトを漁りまくった。ラザニア、カプレーゼ、バジルのパスタ、ティラミス。メニューを考えているだけで、もう当日が来たような気分になる。スーパーで生バジルを探しながら「これ本当に使い切れるのかな」って不安になったのを覚えてる。結局、バジルは半分以上しなびさせることになるんだけど。
当日の午後三時、キッチンはもう戦場だった。
オーブンでラザニアを焼きながら、パスタの下茹でをして、トマトソースを煮詰めて。友達が来るのは六時なのに、すでに額に汗が浮いてる。エプロンにトマトソースが飛び散って、なんだか料理番組の裏側を見ているみたいだった。冷蔵庫からモッツァレラチーズを取り出した瞬間、パッケージが破れて床に転がっていくチーズ。笑うしかなかった。
家族が「手伝おうか?」って声をかけてくれたけど、なぜか断ってしまった。たぶん、全部自分でやり遂げたかったんだと思う。でも今思えば、素直に頼ればよかった。オリーブオイルのボトルを倒して、シンクが油まみれになった時は本気で後悔した。
そういえば、去年の夏に行ったイタリアンレストラン「トラットリア・ソーレ」のことを思い出した。あそこのペペロンチーノが忘れられなくて、今回のパーティでも再現しようとしたんだけど、ニンニクの量を間違えて大変なことになった。試食した時、口の中が火事になったかと思った。慌てて作り直したから、結局パスタだけで一時間以上かかってしまった…。
六時を回って、友達が三々五々集まってくる。玄関のチャイムが鳴るたび、キッチンから「ちょっと待ってー!」って叫ぶ私。最後の仕上げをしながら、リビングからは笑い声が聞こえてくる。もうみんな勝手に飲み始めてるし、誰かがスピーカーで音楽をかけてる。
料理を運び出した時には、もう私の中の完璧主義はどこかに消えていた。
ラザニアはちょっと焦げてるし、カプレーゼのトマトは切り方がバラバラ。パスタはソースが絡みすぎて、理想の「アルデンテ」からは程遠い。でも、テーブルに並べた瞬間、みんなが「すごーい!」って言ってくれて。その声が妙に嬉しかった。料理の出来栄えじゃなくて、この空気に対して言ってくれてるんだって分かったから。
家族も途中から合流して、テーブルはさらに賑やかになった。母が「このラザニア、チーズが多くていいわね」って言いながら、二切れ目に手を伸ばしてる。父はワインを注ぎながら、昔の話を始めた。誰も聞いてないのに、延々と喋ってる。
料理はどんどん冷めていった。でも誰も気にしてない。むしろ、冷めたパスタを「これはこれでありだよね」って言いながら食べてる友達もいた。キッチンに戻ってラップをかけようとした私に、「いいからこっち来なよ」って誰かが声をかけた。
窓の外が暗くなって、部屋の照明だけが頼りになる時間帯。テーブルの上は食べかけの皿と空いたグラスでいっぱいで、もう誰が何を食べたのかも分からない。ティラミスは結局、夜の十時過ぎに出すことになった。「デザートは別腹」って言いながら、みんなスプーンを突っ込んでくる。
片付けは明日でいいやって思った瞬間、本当にパーティが終わったんだなって実感した。玄関で友達を見送りながら、「また来てね」って言う自分の声が、少しだけ寂しそうに聞こえた。
キッチンに戻ると、シンクには洗い物の山。オーブンにはこびりついたチーズ。冷蔵庫には使い切れなかった食材。でも、なんだかそれでよかった気がする。完璧なパーティなんて、最初から目指してなかったのかもしれない。
次は何を作ろうかな、なんて考えながら、しなびたバジルをゴミ箱に捨てた。


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