料理が冷めても誰も気にしない、あのパーティのこと

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友達のパーティって、料理が主役じゃない。

イタリアンを作ろうって話になったのは、誰かが「オシャレじゃん」って言い出したからで、別にみんなイタリア料理が得意なわけじゃなかった。集まったのは夕方の6時くらいで、リビングにはもう誰かが持ってきたワインが3本並んでて、料理はまだ何もできてない状態。でも誰も焦ってなくて、むしろキッチンに立つ前からすでに盛り上がってた。トマトソースの匂いがする前から、笑い声だけが先に部屋を満たしてる感じ。

私が担当したのはパスタだったんだけど、茹で時間を完全に間違えて、アルデンテどころかボソボソになった。「これ、アルデンテの逆だね」って誰かに言われて、「じゃあデンテアルだ」って返したら、なぜか大ウケして、その後ずっとそのパスタは「デンテアル」って呼ばれてた。

家族でやるパーティとは全然違う空気なんだよね。家族だと、ちゃんと作らなきゃとか、時間通りに出さなきゃとか、そういうプレッシャーがどこかにある。でも友達同士だと、失敗がむしろネタになるし、誰も完璧を求めてない。カプレーゼを作ってた友達は、モッツァレラを切るのに飽きて途中から手でちぎり始めたし、サラダ担当の子は「ドレッシングって結局オリーブオイルと塩でよくない?」って開き直ってた。それでいいんだよ、たぶん。

そういえば昔、大学生の頃に一度だけ、ちゃんとしたイタリアンレストランでバイトしてたことがある。店の名前は「リストランテ・ヴェント」っていって、オーナーがやたらと本格派を気取ってて、皿の置き方とか、ワインの注ぎ方とか、細かいルールがたくさんあった。でも客が来ない日は、厨房で賄いのパスタを適当に作って、みんなで立ち食いしてた。あの頃の賄いパスタのほうが、高い料理よりずっと美味しかった気がする。

料理が全部できあがったのは、たぶん8時過ぎ。

テーブルに並べたときには、もう何品か冷めてたし、パスタは完全に伸びきってたけど、誰も文句を言わなかった。むしろ「これ、冷製パスタってことにしよう」とか言って、無理やり正当化してた。ワインのグラスが空になるたびに誰かが注ぎ足して、料理の話よりも、全然関係ない昔話とか、最近あったどうでもいい出来事のほうが話題の中心になってた。

ある友達が「イタリアンって、結局トマトとチーズとオリーブオイルだよね」って言ったとき、みんな笑ったけど、それって本質かもしれないって思った。シンプルなものを、シンプルに楽しむ。凝った料理を作ることよりも、一緒に作って、一緒に食べて、一緒に笑うことのほうが、ずっと大事だったりする。

家族とのパーティだと、どこか「ちゃんとしなきゃ」っていう空気がある。親が来るとか、親戚が集まるとかになると、料理の出来栄えが評価の対象になる気がして、緊張する。でも友達とだと、そういうのが全部なくなる。失敗しても笑い話になるし、誰も点数をつけない。ただ、その時間を共有してるだけ。

夜の10時を過ぎた頃には、テーブルの上はグチャグチャで、誰が何を作ったのかもわからなくなってた。でもまだ誰も帰ろうとしなくて、キッチンのカウンターに座り込んで、残ったワインを飲みながら、とりとめのない話を続けてた。窓の外は真っ暗で、部屋の中だけが暖かい光に包まれてて、その光の中で笑い合ってる友達の顔を見てたら、なんかこういう時間って、もう二度と同じようには戻ってこないんだろうなって思った。

料理が美味しかったかどうかは、正直よく覚えてない。でもあの夜の空気とか、笑い声とか、キッチンに立ち込めてたトマトとニンニクの匂いとか、そういうのは今でも鮮明に思い出せる。

結局、パーティの料理って、味じゃないのかもしれない。一緒に作って、一緒に失敗して、一緒に笑う。それだけで十分なんだと思う。

次にまた集まるときも、きっと誰かが何か失敗するんだろうな。それでいい。

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