
母が作った肉じゃがの湯気が、食卓の真ん中でゆっくり立ち上っている。
誰も何も言わない夕食というのは、思っていたより音が多い。箸が茶碗に当たる音、味噌汁をすする音、父がお茶を飲み込む喉の音。テレビもつけていないから、冷蔵庫のモーター音まで聞こえてくる。こういう静けさって、怖いわけじゃないんだけど、どこか緊張する。
うちの家族が無口になったのは、いつからだったか正確には覚えていない。弟が高校に入ったあたりからだと思う。それまでは母が「今日ね」って話し始めたり、父が会社の愚痴をこぼしたりしていた。でも気づいたら、みんな自分の皿の中身にしか興味がなくなっていた。別に喧嘩したわけじゃない。ただ、話すことがなくなった。
日本料理って、もともとそういうものなのかもしれない。一つ一つの料理が完結していて、それぞれが自分の味を主張しすぎない。煮物は煮物として、焼き魚は焼き魚として、黙って並んでいる。フランス料理みたいに「このソースはね」とか説明したくなる感じじゃない。ただそこにある。
この前、友達が「うちの家族、うるさすぎて嫌になる」って言っていた。
食事中もずっと誰かが喋っていて、テレビもついていて、犬も吠えていて、もう何が何だかわからないらしい。それを聞いて、少し羨ましいと思った。でも本当に羨ましいのかはわからない。たぶん、向こうからすれば、うちの静かな食卓の方が落ち着いて見えるのかもしれない。人間って勝手だ。
母の料理は、相変わらず美味しい。味付けが濃すぎず薄すぎず、ちょうどいい。でも「美味しい」って言うタイミングを逃すと、もう言えなくなる。最初の一口で言わないと、途中で急に「美味しいね」とか言い出すのは不自然な気がして。だから結局、何も言わずに食べ続ける。母もそれを期待していないみたいだ。
去年の冬、珍しく父が「この大根、甘いな」って言ったことがあった。その瞬間、箸を持つ手が止まった。母も弟も、一瞬だけ顔を上げた。でもそれだけだった。誰も「そうだね」とか返さなくて、また静かに食べ始めた。あの時、何か言えばよかったのかもしれない。でも言葉が出てこなかった。
穏やかって言葉は便利だ。何も起きていない状態を、良いことのように言い換えられる。うちの食卓は穏やかだ。誰も怒鳴らないし、誰も泣かない。ただ、料理が少しずつ冷めていくだけ。
ふと、小学生の頃を思い出した。あの頃は母が「今日学校どうだった?」って必ず聞いてきた。僕は「別に」って答えて、でも結局は給食の話とか友達の話をしていた。弟はまだ幼稚園で、食べ物をこぼしては怒られていた。あの騒がしさは、もう戻ってこない。
時計を見ると、まだ7時前だった。食事を始めてから15分くらいしか経っていない。でも、もう随分長い時間座っているような気がする。沈黙の中で食べる食事は、時間の感覚を狂わせる。
弟が最初に「ごちそうさま」と言って立ち上がった。自分の茶碗と皿を持って、キッチンに向かう。水道の音。父もそれに続いた。母は僕の食べるペースをちらっと見て、自分の味噌汁を飲み干した。
結局、家族で食卓を囲むって、こういうことなのかもしれない。言葉がなくても、同じ時間に同じ場所にいる。それだけで十分なのか、それとも何かが足りないのか。僕にはまだわからない。
ただ、明日もまた同じ時間に、同じ場所に座るんだろうな…って思いながら、最後の一口を口に運んだ。


コメント