料理が冷めていくあいだに家族はそれぞれのことを考えている

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母が作った煮物の湯気が、ゆっくりと天井に向かって消えていく。

テーブルの上には今夜も並んでいる。焼き魚、ほうれん草のおひたし、味噌汁、それから白いご飯。いわゆる日本料理というやつで、毎日似たようなものが出てくるんだけど、別に文句を言ったことはない。言ったところで何が変わるわけでもないし、それに母の料理はまずくないから。ただ、この食卓で一番印象に残っているのは、料理の味じゃなくて、箸を動かす音だけが響く静けさなんだと思う。

父は新聞を横に置いて、黙々と魚の骨を外している。丁寧に、でも無表情に。妹は味噌汁を飲みながらスマホをいじりたそうにしているけど、母の視線があるから我慢している。その母は自分の分の煮物をつついているだけで、ほとんど食べていない。私はというと、ご飯粒を一粒ずつ潰すみたいにして食べながら、この時間が早く終わらないかなと思っている。

穏やかと言えば穏やかなのかもしれない。誰も怒鳴らないし、喧嘩もしない。テレビはついていなくて、エアコンの低い駆動音だけが部屋を満たしている。冬の夕方六時半。外はもう真っ暗で、窓ガラスには蛍光灯の白い光が反射している。

そういえば去年の夏、友達の家に泊まりに行ったときのことを思い出した。あっちの家族は食事中ずっと喋っていて、父親が冗談を言っては母親がツッコんで、子どもたちが笑って。私はその輪の中で笑顔を作りながら、どこか息苦しかった。うるさいなとさえ思った。でも帰ってきて自分の家の食卓に座ったとき、あの騒がしさが少しだけ羨ましく感じた…だけど。

家族が揃って食事をするって、本来はもっと特別なことだったんじゃないかと思う。昔、祖母の家に行ったときは、みんなで鍋を囲んで、誰かが何か喋って、笑いが起きて。あれは確かに「家族の団らん」って感じだった。でも今のうちの食卓にあるのは、ただの習慣。夜七時前には全員が揃うという、なんとなく守られているルール。

母が「おかわりは?」と聞いてくる。父が「いらない」と答える。妹は黙って頷く。私も首を横に振る。会話というより、確認作業みたいなものだ。

この静けさの中で、それぞれが何を考えているのかは分からない。父は仕事のことを考えているのかもしれないし、母は明日の献立を考えているのかもしれない。妹は学校であった出来事を反芻しているかもしれないし、私はこうやって食卓の風景を観察している。同じ料理を食べて、同じ空間にいるのに、みんなバラバラのことを考えている。

ふと、味噌汁の出汁の香りが鼻をくすぐった。昆布と鰹節の、あの日本的な匂い。母は「ヤマサキ食品」の出汁パックを使っている。それを知っているのは、たまに買い物を頼まれるからだ。母はいつも同じ銘柄を買う。変化を好まない人なんだと思う。

食事が終わると、それぞれが自分の食器を流しに運ぶ。これも決まりごと。そして父は居間に戻り、妹は自分の部屋に行き、私は母と一緒に食器を洗う。母は洗いながら、今日あった些細なことを話す。近所の誰々さんがどうしたとか、スーパーで何が安かったとか。私は適当に相槌を打つ。この時間だけは、少しだけ会話がある。

料理が冷めていくあいだ、家族はそれぞれのことを考えている。それが悪いことだとは思わない。ただ、これが私たちの「穏やか」なんだろうなと思う。静かで、波風が立たなくて、でも何かが欠けている気がする。何が欠けているのかは分からないけど。

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